英雄の証明

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2022.4.04

いつでもシネマ:「英雄の証明」 美談の主を転落させる小さな噓とSNS

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

イラン社会に人間を描くファルハディ監督

アスガー・ファルハディ監督の新作。ご存じの方も多いと思いますが、「別離」と「セールスマン」で2度もアカデミー外国語映画賞を受賞した世界的な映画作家ですね。イランの方でして、「セールスマン」が受賞したときには、トランプ政権の外国人入国規制に反対して、授賞式出席をボイコットしたというほど、気骨のある人です。
 

このファルハディさん、イランの監督とは言っても、イランはこういう社会だなんて表現に力を入れる人じゃないし、イラン社会の不正を告発するスタイルでもありません。イラン映画で有名なアッバス・キアロスタミもジャファル・パナヒも政治的な映画づくりをする人たちじゃありませんが、そこにははっきりイラン社会の現在が表現されており、まただからこそイラン政府の検閲によって表現を規制されてきました。ところがファルハディは、イランで映画づくりを続けることができた。別に、権力に迎合したからじゃありません。イランを描くというよりも、人間を描いてきたからです。
 
前作の「誰もがそれを知っている」は少女が誘拐されるというお話でしたが、これ、舞台がスペインでしたけど、国民性とか国籍とかを横に置いて、そこにいる人とその家族が描かれている。スペインだからこういうお話にしたというところがないんです。外国映画というとどうしてもその国の社会という目で見てしまいますが、そんな目、枠組みは余分なものだというかのように、そこにある人間を表現してしまうんです。今回の「英雄の証明」も、そんな作品です。
 

拾った金貨を返した囚人がヒーローに

ストーリーは、拾った金貨を返したという美談が暗転するというもの。借金を返さなかった罪で男が投獄された。その男のガールフレンドが、金貨の入ったバッグを拾います。金貨を使えば、男の借金を返せるかもしれない。でも、拾ったものですからやはり届けた方がいいんじゃないか。逡巡(しゅんじゅん)した男は、ガールフレンドではなく自分が拾ったことにして、金貨を拾い主に届けるべく、町に張り紙をします。で、拾い主が現れ、金貨を返すんですが、これは見上げた行動だなんて新聞に書き立てられ、テレビに取り上げられ、一躍ヒーローになってしまう。この美談の主が、一気に転落してゆきます。
 
イランだけじゃなくどこでもある話とはいえないでしょう。借金で刑務所に行くなんてまるでディケンズの小説みたいで、いかにも19世紀ふう。おまけに、刑務所に入っているラヒムが、囚人なのに、ちょっとの間は刑務所から出て、その後また刑務所に戻ることになるんですが、刑務所と実社会を行ったり来たりするなんて、こんなことあるんだろうかという感じ。イランって他の国と違うんだなという感想を刺激されます。
 
それでも、イランを描くという映画じゃない。この「英雄の証明」は、新聞、さらにソーシャルメディアでの評判がラヒムの運命を振り回します。最初は落とし物をちゃんと届けた立派な人だというので新聞テレビで英雄に祭り上げられ、寄付金だって集まるけれど、そんな美談は噓(うそ)だという情報が流されて一気に運命が変わってしまうわけですが、ここに出てくるマスメディアやソーシャルメディアの怖さはイランに限ったことじゃない。借金で刑務所に入れられるところとか自分と家族の名誉にこだわるところにはイラン社会の姿がのぞいていますけど、イランらしさを取り出すことよりもほかの社会と共通するテーマを引き出すことの方に関心が集中していると言っていいでしょう。ファルハディ監督らしいですね。

 


信頼できない語り方 曖昧さ残す物語 

巧みな映画です。まず、お話がはっきりしているようでいながら、はっきりわからない。主人公のラヒムがどうして借金し、どうして返せなかったのか、刑務所にどうして入れられたのか、言葉では説明されるけれど、どうもわかりません。ガールフレンドのファルコンデが金貨を拾った場面だって、映画に出てこない。小説の技法で信頼できない語り手というのがありますが、この映画は、信頼できない映画の語り方と呼べばいいでしょうか。肝心のポイントを微妙に曖昧にしたまま映画を進め、その曖昧にされていたところから次の思いがけない展開を引き出してゆくんです。
 
そして、ほんの少しの言いつくろい、ちょっとした噓や脚色が、どんどん事態を悪化させてしまう。ラヒムは不幸に生まれついたようなキャラクターで、噓つきというより噓がうまくつけないからいつも損しているような人なんですが、それでもこのラヒム、そんなこと言わない方がいいのにな、なんてことを次々に口にしては、自分の首を絞めてしまうんですね。ちょっとの噓がとんでもない状況をつくってしまうのはドタバタ喜劇の定番ですが、ファルハディ監督はコメディーではなくドラマでそれをやってのけた。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したのも納得のゆく、映画のたくらみです。
 
出てくるキャラクターがみなくっきりと描かれていますが、なかでも映画に余韻を与えているのが、ラヒムの息子です。まだ小さいうえに、言葉もうまく話せない。この少年の絞り出すような声が映画を見た後にも耳について忘れられませんでした。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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