出版社が映画化したい!と妄想している原作本を担当者が紹介。近い将来、この作品が映画化されるかも。
皆様ぜひとも映画好きの先買い読書をお楽しみください。
2023.7.31
映像業界からも注目!辻村深月新たな代表作「この夏の星を見る」
辻村深月、心を描く名手
映画化された「ハケンアニメ!」は日本アカデミー賞で作品賞など10部門受賞。本屋大賞受賞作の「かがみの孤城」が原恵一監督の手でアニメ映画化されるなど、辻村深月作品は映像業界からも注目され続けている。
その秘密は、読んだ者に「これは自分の物語だ」と思わせる力、複雑な心を複雑なままに描き出す独特の筆の力にあるのではないかと思う。そんな辻村深月が「新たな代表作」と言い切るのが、「この夏の星を見る」である。
コロナ禍を描いた青春小説
2020年春、コロナ禍によって「いつも通り」がすべて消えたところから物語は幕を開ける。「この夏の星を見る」は全国の中高生が、天文活動を通じてリモートでつながっていく青春小説だ。
亜紗(あさ)は茨城県の高校2年生、天文部。コロナ禍で部活動が次々と制限される中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区の中学1年生。新入生のうち、自分が唯一の男子であることにショックを受け、「長引け、コロナ」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県・五島列島の旅館の娘。旅館に他県からのお客が泊まっていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメートに天文台に誘われる――。
読んでいて、随所で胸が痛くなる。ほんの数年前のことなのに、もうコロナ禍当時の緊迫感や不安感の記憶が薄れていることに驚く。そして、「ああ、あの時はそうだった、こんな違和感を覚えていたけれど、忙しい日々にかまけて深く向き合わずにスルーしてしまっていた」という感慨を覚える。言葉にできていなかった自分の感情を、再発見するような読書体験なのだ。
何も失われてなんかいない
物語の後半で、顧問の綿引先生がこんなセリフを口にする。
「――失われたって言葉を遣うのがね、私はずっと抵抗があったんです」
「実際に失われたものはあったろうし、奪われたものもある。それはわかる。だけど、彼らの時間がまるごと何もなかったかのように言われるのは心外です。子どもだって大人だって、この一年は一度しかない。きちんと、そこに時間も経験もありました」
この言葉が胸に迫ってくるのは、読者がそこまでのページをめくりながら登場人物と一緒に「時間と経験」を積み重ねてきているからだ。五島列島の、島ならではのコロナに対する緊迫感と、裏腹の美しい風景。学校が休みになってホッとしている少年の繊細な心情。大切な友人が、抱えている大変な状況を打ち明けてくれなかった寂しさと、それでも彼のために何ができるだろうかと必死で考える横顔。そんな生徒たちをずっと陰ながら支えている大人たちの葛藤。この物語には、あらゆる色彩の感情があふれている。
星の光と、自由
バラバラだった全国の生徒たちは、星座の線を結ぶようにつながっていき、「ある計画」を立てる。遠い星の距離と比べれば、長崎と東京なんて、すぐ近所だ。きっと宇宙から見れば、コロナ禍だって一瞬のゆらめきのようなものなのだろう。
この小説にとってコロナ禍はテーマの一つに過ぎず、そこで描かれているのはもっと普遍的な、この世界についての物語なのだと思う。この世界はいつでも理不尽な別れやすれ違いに満ちていて、不条理に自由は制限され、近い未来がどうなるかすら誰にも分からない。けれど、我々には空を見上げる自由はいつだって残されているし、離れた場所で同じ空を見上げる誰かとつながることだって、できるかもしれない。