3度の飯より映画が好きという人も、飯がうまければさらに映画が好きになる。 撮影現場、スクリーンの中、映画館のコンフェクショナリーなどなど、映画と食のベストマリッジを追求したコラムです。
2023.4.05
普段は和気あいあいだが、仕事は真剣! 青鬼にもなる? 筑西市の官民一体となったロケ飯事情
官民一体という言葉についつい実感ないなあと感じてしまう。しかし、この3人のインタビューをしていると「ああこのことを言っていたのか」とポンとヒザを打ちたくなった。茨城県筑西市経済部観光振興課主任の長沼大樹さん、筑西市活性化プロジェクトちっくタッグリーダー白井佐智子さん、中国料理玉龍(ユーロン)オーナーシェフ高橋俊行さんの息のあったトリオ。ロケ件数が毎年伸びていると言う筑西市のロケ飯の秘訣(ひけつ)を聞いてみた。
昔の血が騒いだのかリーダーを引き受ける
白井さんは元々東京でテレビの制作会社に勤めていた。「バブル絶頂の頃でロケ現場も活気があったしお金もあった」そうだ。やがて親が営む特定郵便局を継ぐために帰郷。局長をやっている頃、ちっくタッグの話が上がったそうだ。昔の血が騒いだのかリーダーを引き受けると、だんだんとのめり込んでいった。ちっくタッグとは名前の通り、筑西市のみんながタッグを組んで町おこしをしようとするボランティア団体。2012年に発足、まずは町の飲食店にロケ弁やケータリングを依頼した。
「飲食店の人は作ってその場で食べてもらう経験しかないので、最初は苦労した」と言う。「原価率の計算も飲食店の感覚でいたので、最初は満足がいかなかった」とも付け加えた。
また、「映画の製作現場は食事にお金がかけられないので1日1000円で仕切ってください」などの無理難題もあったと言う。経験がない飲食店とお金がない製作現場。それでもなんとかその現実を解決するように白井さんは動いた。とにかく、お店を周り、自腹で飲食をしてお店の人とのコミュニケーションをはかった。
東日本大震災で途方に暮れる毎日
そんな中で出会った1人が高橋さんだった。同じく東京で働いていた彼は新宿住友ビルの中国料理秀山で修業をしてきた。10年故郷の筑西市で玉龍をオープンさせた。その早々に東日本大震災があり、筑西市も大きな被害を受けた。途方に暮れる毎日だったと言う。そんな中、白井さんと出会い、ロケやイベントの食事のお手伝いをするようになった。
「最初のうちはひどかったのよ!」と白井さんが携帯電話に入った証拠写真を見せようとするのをさえぎりながら、「白井さんには頭が上がらない」と苦笑する。「コロナの頃にちっくタッグがお店マップや弁当情報をこまめに吸い上げ、広報してくれた。僕はその動きを知っていたけど、知らない店は急に多くの注文が入りふしぎがっていた」との当時の神対応を解説してくれた。
「コロナのテークアウトで各お店のレベルが一気に上がった」と白井さんが後日談で受ける。
公務員には見えない
「その点、市は差し入れを入れる程度ですかね」と長沼さん。筑西市名物の小玉スイカや干し芋、梨など季節のものを現場に持っていくと言う。「そう言いながら、設営から撮影、撤収まで現場に張り付いているのは長沼くんだよね。現場になじみすぎて公務員には見えないものね」と白井さんがツッコむ。
「FC(フイルムコミッション)は僕で4代目。行政につきものなのは異動。しかし、ちっくタッグさんの存在が行政の継続性を保ってくれています」とまじめに答える。
ロケが終わり、映画が公開を迎える時には配給会社と連絡をとりあいイベントをやることも。最近では「月の満ち欠け」の公開でイベントを行い、ロケ弁の紹介もした。「聖地巡礼のファンがたくさんお店に来てくれて、食事をしてくれてうれしかった」と高橋さん。
星は赤よりも青い方が熱が高い
インタビュー中、ずっと笑顔だった白井さんも「ロケ現場でトラブルが起きると青鬼になる。静かな怒り。星は赤よりも青い方が熱が高いそうだが、トラブルに対して怒るのではなく、冷徹に解決するよう指令する。」その姿が一番怖いと高橋さんが振り返る。普段は和気あいあいだが、仕事は真剣。こんなホスピタリティーが人気の上がってきているロケ地の理由なのだなあと実感させるエピソードでした。
☑人気ロケ飯
「黒酢の酢鳥弁当」
何種類もの材料を合わせて作ったオリジナル黒酢が味の決め手。インタビューが盛り上がり食べる頃にはもうすっかり冷えていたのだか、それでもとてもおいしかった。もちろんエビチリのソースも自家製。付け合わせのポテトサラダも手作りでとてもクリーミーだったことがこの店の姿勢を感じた。