「イノセンツ」 ©Mer Film

「イノセンツ」 ©Mer Film

2023.8.04

この1本:「イノセンツ」 子供の〝覚醒〟の可能性

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

北欧ノルウェーで作られた超能力映画である。ところがハリウッドのスーパーヒーロー映画のように、人が空を飛んだり、ビルを破壊したり、天変地異を引き起こしたりする描写は一切ない。それなのに、あらゆる場面に静謐(せいひつ)かつ繊細な緊迫感がみなぎっている独創的なスリラーだ。

とある夏、両親とともに郊外の団地に引っ越してきた9歳の少女イーダと自閉症の姉アナが、移民の子ベン、アイシャと出会う。ベンは心の中で念じただけで小さな物を動かせる不思議な力を持ち、アイシャは口がきけないアナとテレパシーで心を通わせる。4人は超能力を駆使して無邪気に戯れ合うが、いじめられっ子のベンがそのパワーを悪用したことで、イーダらは危機的な事態に陥っていく。

好奇心に満ちた遊び盛りの子供にとって、念動力やテレパシーは魔法のようなもの。その半面、超能力は人を傷つける暴力にもなりうるが、まだ思春期に至らない4人には物事の正邪の区別がつかず、人知を超えたパワーを制御することもできない。「わたしは最悪。」で米アカデミー賞脚本賞にノミネートされたエスキル・フォクト監督が探求を試みたテーマは、まさにそこにある。

主人公のイーダは親の目を盗んで姉に意地悪したり、ミミズのような無力な生き物を踏み殺したりする女の子として登場する。彼女には悪意も敵意もない。純真無垢(むく)であるがゆえの子供の残酷さの表れだ。フォクト監督は大人の目が届かない子供の生態をリアルに描きながら、4人のうち唯一超能力を持たないイーダが、ベンとの闘いの中で責任感や他者への思いやりに目覚めていく姿を映し出す。超能力をメタファーにして子供の変化と成長、未知なる〝覚醒〟の可能性を描いた作品でもあるのだ。

コンピューターグラフィックス万能の時代に、あえて派手な演出を避けた超能力描写も素晴らしい。陽光きらめく団地や森の風景をカメラに収めつつ、不安定に揺らぐ子供の感情と、風のざわめき、水面の波紋などの自然現象を共振させた映像世界が胸騒ぎを誘う。優れた撮影、音響効果に加え、子役たちの迫真の演技も特筆ものだ。1時間57分。東京・新宿ピカデリー、大阪・大阪ステーションシティシネマほかで公開中。(諭)

ここに注目

巨大団地、子ども、超能力という舞台装置は、フォクト監督が認めるように大友克洋のマンガ「童夢」とそっくり。しかし激しいアクションが描かれた「童夢」と違い、画面は終始穏やか。それでも、団地が持つのっぺりした無機質な空間と、家族連れが和やかに遊ぶ温かみの双方を生かした演出がたくみ。空を飛んだり殴り合ったりはせず、戦いは平穏な日常の裏でひそかに繰り広げられる。アクションを抑制したからこそ、不穏な空気と迫り来る脅威を、ヒシヒシと感じさせるのである。(勝)

技あり

シュトゥルラ・ブラント・グロブレン撮影監督は北欧で名うて。アナとイーダ対ベンの最終決戦は、母親たちが買い物でいない午後に決行。ベンに操られると、母親も危険な存在になりかねないのだ。背景の高層階のベランダから見下ろす子なども、正面と肩越しでしっかり押さえる。両者池を挟んで向き合い、犬がほえ、砂が巻き上がり、赤ん坊が泣く。最後はブランコに座ったベンが邪気を送り、アナとイーダは手をつなぎ必死の防戦。姉妹の足元の砂が動き、ベンがガックリと頭を垂れた瞬間、特撮がらみの引き画(え)で遊具がバタバタ倒れ、姉妹の勝利を知る。子供どうしの昼の念力合戦を撮った。(渡)