映画やドラマでよく見かけるようになったあの人、その顔、この名前。どんな人?と気になってるけど、誰に聞いたらいいのやら。心配無用、これさえ読めば、もう大丈夫。ひとシネマが、お教えします。
2024.8.28
「ラストマイル」の満島ひかりが見せた真実の演技 〝ズレ〟と〝揺らぎ〟を血肉化
人気ドラマ「アンナチュラル」「MIU404」と世界観を共有する映画「ラストマイル」。8月23日に劇場公開され、公開3日間で観客動員数66万人、興行収入9.7億円のロケットスタートを記録している。石原さとみ、井浦新、綾野剛、星野源ほか「アンナチュラル」「MIU404」の主要メンバーが勢ぞろいした超オールスター映画であり、数々の名ドラマを生み出してきた監督・塚原あゆ子×脚本・野木亜紀子×プロデューサー・新井順子という黄金トリオの最新作ということもあって、公開前からファンが〝全力待機〟していた注目作だ。
本作の主演を託されたのは、満島ひかり。彼女が扮(ふん)した舟渡エレナは、演者を想定してキャラクターを書き下ろす「当て書き」だったという。つまり満島が息を吹き込んでこそ動き出す人物だったわけだが、本稿では改めて俳優・満島ひかりの魅力をひもときつつ、「ラストマイル」での躍動を見つめてゆきたい。
見る者を混乱させる憑依型
満島ひかりといえば、「憑依(ひょうい)型」と評される突出した演技力の持ち主。坂元裕二が脚本を務めた「Woman」「カルテット」「それでも、生きてゆく」ほか、映画でいえば「悪人」「夏の終り」「駆込み女と駆出し男」「愚行録」「海辺の生と死」など――。近作でいえば、佐藤健と共演したNetflixシリーズ「First Love 初恋」での圧倒的な存在感を思い出す方も多いことだろう。
そもそも憑依型とは、役者ではなく役その人にしか見えない状態――別人のふりをする「演技」の定義を覆すような、観客/視聴者の脳内の想定を超えた生々しさを指す言葉だろうが、満島においてはまさにそうで、全身全霊のパフォーマンスでもって見る者の認識を混乱させるようなところがある。
ただ、いわゆるどんな役にも染まる「カメレオン俳優」タイプかというと、やや異なる印象だ。こと彼女においては、役に染まるというよりも「ブレる/揺らぐ」ところに真骨頂があるように思える。役と演者本人の間に生じる摩擦、あるいは役の中にあるズレを〝振動〟させることで表面的なキャラクターにならず、複雑性を持った生身の人間として歩き始めるのだ。そうした特徴が作品のアクセントとして存分に機能しているのが、「ラストマイル」だ。
ドラマ文脈を逆手に取った演技
これは全ての作品に適用されるわけではないが、テレビドラマと劇場映画ではユーザーの違いから、ベースとなる文脈や言語がそれぞれ異なる場合が多い。例えばドラマでは多くの視聴者に届かせるために「説明する」必要が生じ、映画においては言葉を減らし、間(ま)をたっぷりとって画面全体で「漂わせる」ことも可能になる。
「ラストマイル」はどちらかといえばドラマの文脈による映画のため、ひとつひとつのセリフが「情報」として機能している。つまり、作品内で言葉が持つウエートが大きい。そしてまた「アンナチュラル」「MIU404」と合体するということは、もう出来上がったキャラクターたちと並べられるということ。となると、満島も「舟渡エレナ」というキャラクターに自身を当てはめるアプローチの方が収まりがよいはず。登場人物も多い本作で、一目で観客がインプットできるビジュアルと、主張や情報がしっかり搭載されたセリフから役を作っていく――がセオリーのように思える。しかし満島は、その構造すらも役の血肉とした。自身の「枠にはめようとする(が無理が生じる)」行為を、エレナの「システムに沿おうとする(があらがってしまう)」状態にオーバーラップさせたのだ。
立場からにじみ出る人間性
例えば、劇中で満島が発するセリフがいくつか「浮く」瞬間がある。彼女自身の身体性と微妙にズレているため言葉が先行してしまうのだが、これは意図的なものだろう。現に、物語が進行していき、エレナの抱える秘密が明かされる過程で、セリフと身体がどんどん一致してゆく。なぜそうしているのか。そのヒントになりそうなのが、公式サイトに掲載された満島のコメントだ。
彼女は「(野木さんの脚本は)感情をあまり描いていないのに、登場人物たちが状況に没頭することで、隙間(すきま)からその人だけの気持ちを感じられる」と語っている。つまり、セリフにはエレナ自身の感情というよりも立場から出る言葉が記載されており、そこに徹しきれない部分に人物の本質がにじみ出るということ。本作で満島がトライし、我々が受け取る芝居がまさにこれで、「世界的なショッピングサイトの関東センターに配属された新任リーダーが、自分のウイークポイントを隠しながら、出荷した荷物に爆弾が仕掛けられていた事態を収拾しようとする」うえで、周囲に正直に本音を見せるわけがないのだ――という極めて論理的な思考の上に成り立っている。
ざっくりいうと、「立場がそうさせている」芝居を繰り出していること。しかし本人は機械ではなく血の通った人物であるため、時折そこにエラーが生じる。それが、前述の「言葉が浮く」瞬間だ。満島はただシステマチックにセリフを発するのではなく、あえてざらつかせてヒューマンエラー的な機能不全を起こすことでエレナの本当の人物像をちらつかせている。一歩間違えば観客にミスと受け取られかねない賭けを見事に成立させた、非常に高度な業(わざ)といえるだろう。
「アンナチュラル」「MIU404」世界の〝新人〟として
ビジュアル面においても、同様の創意工夫がみられる。エレナは冒頭、ビンテージものの真っ赤なコートに多数のアクセサリーを身に着けた状態で登場し、観客にインパクトを与える。似合ってはいるのだが、TPO的に少し浮いて見えなくもない。ここにも満島の明確な狙いがあり、「自身の勤務先では買えない服装にすることで、己を保つ武装」という意味合いが込められているという。
ここもまた、ズレによって生じる真実を巧みに応用したアプローチだ。さらにいえば、「アンナチュラル」「MIU404」と同じ世界観に放り込まれた〝新人〟という己の立ち位置すらも、エレナの孤立無援感を醸すために利用している。本人は撮影時の自身のパフォーマンスを「不安定だった」と振り返っていたが、その状態こそがエレナの器づくりに寄与しており、狙い通りだったのではないか。
エレナの精神状態にシンクロすべく、撮影期間は次の仕事を入れずに背水の陣で挑んだという満島。「ラストマイル」はお祭り映画としての側面に流通業界の労働環境に関する問題提起、加速するシステムと人の関係性等々、さまざまな要素を含んだ一作。その主演という重圧を自分にしかできない形で役作りに変換した満島ひかりは、やはり傑物だ。