毎日映コンの軌跡⑱ 牛原虚彦監督 草創期から重要な役割果たす
毎日映画コンクール草創期から、重要な役割を果たした映画監督がいた。牛原虚彦(きよひこ)だ。東京帝大を卒業後、創設されたばかりの松竹蒲田撮影所入り。1926年に半年間、米ハリウッドに渡り、チャプリンの下で映画を学び「サーカス」の撮影にも立ち会った。帰国後は「受難華」「若者よなぜ泣くか」など多くを監督した。人望厚く温厚な人柄で、36年の日本映画監督協会設立に、小津安二郎監督らとともに尽力している。海外の国際映画祭にも、審査員としてしばしば招かれた。 映コンとの関わりは、前身の全日本映画コンクールにさかのぼる。牛原は30~32年、トーキー映画研究のため、欧州に滞在した。その際、毎日新聞の前身の大阪...