毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.4.22
この1本:「ビーチ・バム まじめに不真面目」 ケチな良識、蹴っ飛ばす
いやはや不謹慎極まりない。不道徳で無節操、しかしこれが痛快なのだ。「ガンモ」「スプリング・ブレイカーズ」などで米国社会ののけ者と、彼らを追い立てる世間を描いてきたハーモニー・コリン監督。ここでははみ出し者の勝利を高らかにうたう。コロナ前に作られたが、今の息苦しさの中できらめきを放つ。
かつて天才と評された詩人のムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は、大富豪の妻ミニー(アイラ・フィッシャー)の財産で放蕩(ほうとう)生活、時々タイプライターに向かう日々。やることなすことメチャクチャだ。昼夜を問わず酔っ払い、娘の結婚式にも遅刻して現れるや花婿をこき下ろす。
言いたい放題のやりたい放題、野放図な痴態の点描はいかにもコリン節。だが、今作は底抜けに陽気なのだ。天気はいつも快晴、そしてムーンドッグはなぜかみんなに許され、好かれている。
そんな生活が続くわけない? いかにも。ミニーが死に、新作を出版するまで遺産相続はお預けと遺言を残す。無一文になったムーンドッグは警察の厄介になり、ついに更生施設に放り込まれる。
この映画の真骨頂はここから。ムーンドッグは追い詰められても、反省や改悛(かいしゅん)とは無縁だ。施設で出会ったフリッカー(ザック・エフロン)を相棒に、暴走に拍車がかかる。
そんな生き方、いくら映画だって破滅に向かうのが相場だろう。しかしコリン監督、ムーンドッグと一緒にケチな良識も蹴っ飛ばす。ムーンドッグは快楽と欲望に従い、一方で何にも執着しない。ストレスなし、常にハッピーな究極のエピキュリアンにしてアナキスト。ここまで到達すれば潔い。あきれるのを通り越して笑うしかない。徹頭徹尾、不道徳の勧め。行儀の良い方は遠慮した方がいいかも。1時間35分。30日から東京・キノシネマ立川高島屋S.C.館ほか。大阪・シネ・リーブル梅田(5月7日から)などでも順次公開。(勝)
ここに注目
酒とドラッグと燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光をひたすら浴びて、古いタイプライターを打ちながら暮らすムーンドッグ。まったく成長する気がない主人公が見る者に奇妙な癒やしやエネルギーを与えるのは、彼が社会のシステムにとらわれず、他者におもねることなく、あくまで自分軸で自由に生きているからだろう。ものすごいテンションのままで詩を語るようにマコノヒーが演じたムーンドッグに憧れの気持ちを抱いてしまった。コロナ禍で心が疲弊した今に必要なのは、人生に対する肯定感や酩酊(めいてい)感が味わえるこんな作品かもしれない。(細)
技あり
ベルギー出身のブノワ・デビエ撮影監督は、フロリダ州のロケを軽妙なカメラと繊細な色遣いで見せる。ムーンドッグが夜の港で白い猫を抱き、バーで飲む出だしから、手持ちカメラが軽やか。港では蛍光灯の下で猫と船の白と衣装の黄色を強調し、暗いバーでは赤や紫、青。コリン監督が「天才」と言う色彩の変化だ。素材を自在につなげるコリン監督のため、どこに何を使われてもいいよう、全体のルック(映像の外形)を固める必要がある。「美しく感覚的に」という考えを画(え)にし、「究極のアメリカの風景」を見せるのは楽じゃない。(渡)