片渕須直監督とコトリンゴさん 提供:コントレール

片渕須直監督とコトリンゴさん 提供:コントレール

2024.5.24

「つるばみ色のなぎ子たちへつづく道」片渕須直監督とコトリンゴ対談「マイマイ新子と千年の魔法」とのつながり

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ひとしねま

ひとシネマ編集部

片渕須直監督特集上映企画「つるばみ色のなぎ子たちへつづく道 第2弾 『マイマイ新子と千年の魔法』」が4月26日(金)~5月2日(木)京都・出町座にて実施された。「つるばみ色のなぎ子たちへつづく道」は、現在製作中の片渕監督最新作「つるばみ色のなぎ子たち」と、これまでの片渕監督各作につながる主題や創作の原点などを探る上映企画。昨年12月開催された第1弾の企画では、片渕監督と千住明氏(作曲家)が登壇し、映画「アリーテ姫」(2001年)の製作から、製作中の「つるばみ色のなぎ子たち」での 22 年ぶりの再タッグについてまで、熱いトークが展開された。会場は満席で、来場した観客からも、大きな反響となった。

 
4月27日(土)、企画第2弾の限定上映作品「マイマイ新子と千年の魔法」の上映後、出町座の田中誠一さんが進行司会を務め、片渕監督、コトリンゴさん(音楽家)が登壇したアフタートークが実施された。コトリンゴさんは、「マイマイ新子と千年の魔法」で主題歌「こどものせかい」を担当し、後の「この世界の片隅に」(16年)でも音楽・主題歌を担当した。製作中の「つるばみ色のなぎ子たち」の原点となる「マイマイ新子と千年の魔法」の製作秘話から片渕監督との仕事について、熱いトークが展開された。
 

この映画を締めくくるためにふさわしい音楽

田中:本日は、「つるばみ色のなぎ子たちへつづく道 第2弾」にご来場いただきありがとうございます。先ほど片渕監督の長編2作目「マイマイ新子と千年の魔法」と最新作「つるばみ色のなぎ子たち」のパイロット映像を上映させていただきました。そしてここからは、片渕監督とコトリンゴさんのゲストトークに移らせていただきます。では片渕監督からごあいさつのほど、よろしくお願いいたします。
片渕:多くの方にご来場いただいて恐縮です。このイベントは、「つるばみ色のなぎ子たちへつづく道」ということで、次回作へとだんだんと近づいていくという上映企画です。出町座さん、またご来場いただいた皆さん、多くの方にご参加いただきうれしいです。本日はよろしくお願いいたします。
コトリ:今日はこんな特別な場所に呼んでいただいてありがとうございます。監督さんにいろいろお話をお伺いできればと思っています。よろしくお願いいたします。
 
田中:まずは片渕監督より、「マイマイ新子と千年の魔法」の製作の経緯について、お伺いさせてください。
片渕:この作品は、マッドハウスという会社で製作しました。当時のマッドハウスのプロデューサーの丸田順悟さんが、原作の「マイマイ新子」を読まれていたんです。自分の子供の頃の様子とすごく似ていて、アニメーションでこれを表現してみたらと企画を立ち上げたいと、そこにお声がけいただきました。
その頃のマッドハウスは、有名なマンガ原作の作品のほかにも、絵本などを原作にアートアニメを作ろうという意気込みも持っていました。その中の一つとして、毛色の変わったものが混ざっても面白いんじゃないかなという企画でした。
本作は2009年11月公開でしたが、実はフィルム自体は、08年中にほぼできていました。そしてあと一歩のところに決定打が出るまでは置いたままにしようということになって、翌09年の夏に完成版が出来上がります。その決定打こそが、「エンディングの音楽」でした。
この映画にふさわしいエンディングというのは、どういうものなのか。08年末ごろにできていたバージョンでは、アメリカの映画にあるような本編のBGMをメドレーにしてエンディングを仮につけていました。画(え)もありません。
そのあとで、この映画の一番の締めくくりについていろいろと相談して、コトリンゴさんに来ていただいたことで完成したんです。そして、コトリンゴさんの歌が付くならば、エンディングにも画を付けなければいけません。それを09年の夏に作業をして、出来上がっていきました。

(C)高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
 
田中:劇中の最後には「Sing」が流れますが、それをエンディングということにはならなかったんですか?
片渕:あの曲は、あの時点での祝祭の歌のような、主人公たちの心の中の気持ちの歌声として流しています。なので、エンディングに求めていたものとは違いました。
また、本編の音楽というのも違いました。本編の音楽は、主人公・新子の心の中から湧いてきたものが、そのまま音楽になるように作っています。Minako"mooki"Obataさんにお願いをしていて、彼女一人で歌われた素材を重ねどりして、コーラスを作りました。もっと女の子っぽいのかなと思ったら、mookiさんの方でどんどん男の子になっていたりして。でもそれが心の中から現れている。新子ちゃんの中から出てきたものを、的確に表現してくださったんです。
そういうものを含めて、劇中に出てきた新子や貴伊子、それから平安時代のなぎ子ちゃんたちを「子供たち」として、エンディングにまとめたかった。それをコトリンゴさんが見事に「こどものせかい」という曲で表現してくださったんです。
 
田中:コトリンゴさんへのオファーのきっかけは、どういったものだったのでしょうか?
片渕:今日この会場のあそこに座ってるのですが、この作品のプロデューサー・エイベックスの岩瀬智彦さんのご紹介です。
コトリ:当時、坂本龍一さんとエイベックスさんで設立されたCOMMMONSでお仕事をさせていただいていて、そこからお話をいただきました。
片渕:あのときは、本当にいろいろなアイデアが出たんですけれど、それは違う、それは違うと僕が言い続けて(笑い)。そしたら、何カ月か何も言ってこなくなっちゃって…。
しばらくしてから、「見つけましたよ!」と岩瀬さんが連絡をくださった。「監督が言ったことが全部ここにあります」とおっしゃって、コトリンゴさんのCDを聞かせていただきました。すぐにOKを出させていただきました。
 
田中:コトリンゴさんはオファーいただいてからはどのように制作されたのですか?
コトリ:このときは、さきほど監督さんがおっしゃっていた完成版がもう既にあって、それを拝見しました。そして、最後にこの映画を見終わった後にどんな音楽があったらいいのかを、時間を頂いて考えていきましたね。それがとても良かったなと思っています。
片渕:実は最初に枕草子を読んでいただいたんです。(片渕監督、枕草子を取り出す)
コトリンゴ:はい。お借りしました。
片渕;これ(取り出した枕草子)は、コトリンゴさんにお渡ししたその時の枕草子そのもので、貼ってある付箋も当時のままのものです。本の中にちりばめられている言葉をヒントにしていただけないかなと思って、あちこちに付箋を貼ってお渡しさせていただいたんです。
コトリ:併せて高樹のぶ子さんの原作も同じようにお借りしました。その二つの本からキーワードを取り出して、曲を制作していきました。
大きく間違えたらNGが来るだろうというふうに思いながら書いたのですが(笑い)。割と、パッ、パッと好きなイメージが思い浮かぶもの。それから、お話も女の子たちが中心でちょっとガーリーな感じを集めた世界観を作っているので、そういったところを自分の感覚に従って選んで制作させていただきました。
片渕:エンディングの映像に出てくる折り紙やおもちゃなどは、コトリンゴさんの曲に逆にインスパイアされたものです。コトリンゴさんの曲がなければ、あのエンディングの画面にはならなかった。あの歌がちゃんと子供の感覚のようなものを捉えてくださっていて、映画の締めくくりになっているんです。

(C)高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
 
田中:コトリンゴさんは、このエンディングの詞は、登場人物であるなぎ子ちゃんの気持ちで書かれているのですか?
コトリ:いや、当時はまだ若造だったので、あまりそういったことは考えず……(笑い)。
もっとそのまま受け取るというか、ぱっとストレートな感覚で作品に向き合わせていただいたように思います。そのままの子供の気持ちというか。
それまでにいろいろ出来事は起こっていて、切ない気持ちにもなるんですけど、また遊ぼうねって言える。そんな素直な感覚で詞を書きました。
片渕:制作時には、この歌は麦畑の底から子供が見ている曲にならなきゃいけないってことをコトリンゴさんがおっしゃってくださいました。
コトリ:そうです。それで麦畑の代わりに、ゴーヤーのカーテンをベランダに作っていたので、その下から空を見上げて、麦畑に潜った感覚を再現してみました(笑い)。
それと当時鳥を飼っていて、デモに鳥の声が入ってしまったことも印象に残っています(笑い)。
デモテープを自宅でとっていて、歌どりの間は鳥かごをお風呂場に持っていき、少しだけ待機してもらっていたのですが、それでも鳴き声が大きくてデモに入ってしまったり。そもそもマイクの前に鳥がとまっているまま、ぱっと歌どりをした時もありました。
片渕:それで、鳥の鳴き声入りのデモテープを聞かせていただいて(笑い)。でも、その鳥の鳴き声も全部含めて面白くて、子供の頃の世界みたいな感じがとてもしたんです。
多くのキーワードをお渡しさせていただいて、もっと枕草子に寄った音楽になるのかなと思っていたのですが、死んじゃった子供、夏に一度しか会えない子供など、作品をベースに多くの要素を拾い上げていただきました。
コトリ:どうにか着地できました(笑い)。
 

過去作から最新作に流れる〝千年の魔法〟

田中:今回の上映では、「マイマイ新子と千年の魔法」のあとに、最新作「つるばみ色のなぎ子たち」のパイロットフィルムが流れるという形で、2作品の流れみたいなものが感じられるかと思います。コトリンゴさんは、初めて連続してご覧になってみていかがでしたか?
コトリ:こんなふうにつながっていくとは…と思いました。片渕監督の作品は、本当にその時代に自分がいるような感覚になります。
ちょっと昔ではありますが今の時間としての新子ちゃんと、千年前のなぎ子ちゃんの時間。どっちにもいるような感じで行き来してから、次の作品のパイロットフィルムだったので、すごく時間旅行をしたような感覚でした。まだ声が入ってない状態なので、音楽がよりさらにぐわっと体に来て、とても印象に残りました。
片渕:ありがとうございます。「マイマイ新子と千年の魔法」のなぎ子ちゃんは、のちの清少納言だと考えていました。彼女が子供のころの記録はほとんどないので、清少納言がおとなになって書いたものから逆算して子供時代を作っています。また、原作に出てこないなぎ子ちゃんについては、高樹のぶ子先生にもお話しして了承を得ました。こんな性格の女の子ですとお話しさせていただいたら、先生に「新子ちゃんそのままじゃん」って言っていただけて、内容の整合性が取れるということで、ご了承いただいたんです。

田中:本作は、原作の「マイマイ新子」という小説から、「マイマイ新子と千年の魔法」というタイトルになったことがこの映画として大きな意味を持つと感じます。この「千年の魔法」という要素は監督の中でどのようなものなのでしょうか?
片渕:「千年の魔法」というのは、元々はマイマイ新子の小説の中にある言葉です。その部分は、原作ではあまり深掘りされていませんでした。けれど、自分がその前に監督した「アリーテ姫」で「千年ぐらいは人間の想像力は飛べる」という、まさしく「千年の魔法」の話を書かせていただいていたんです。そのとき、とても不思議な感覚に襲われました。だから、自分の想像力を千年先へ飛ばせないとダメなんじゃないかなと思ったんです。
そして、子供たちが遊ぶ楽しさの感覚の中に、千年ぐらいだったら気持ちも飛べるんだというのを盛り込みたいと思いました。そこで千年前、山口県防府市にいた人を調べてみたら、清少納言が子供の頃にいたらしいとなってきて、彼女が登場することになっていきます。
「アリーテ姫」に千年ぐらいは想像力を飛ばせないと駄目だよ、やってみなよと言われたような気がしたわけなんですね。そして、「マイマイ新子と千年の魔法」で清少納言に出会って、最新作につながっていくんです。

©つるばみ色のなぎ子たち製作委員会/クロブルエ
 
田中:その「千年の魔法」を表現するにあたって、大きな要素の一つになるのは〝土地〟ですよね。作中では、直角で曲がる川は自然にはないけれど、今は直角に曲がっているから人の営みが見えて、その千年のつながりが具体的に蓄積されていきます。
片渕:直角に曲がる川というのは、原作に登場します。でも実際にその場所に行って見たら、直角ではなかった(笑い)。ところが、本当に直角に曲がっている場所が別にあって、それがなぎ子ちゃんの住んでいた周防守の館だったんです。
ちょうど僕たちが防府を見に行った時に、その場所で実際に発掘調査がされていました。この場所は一体何なんだろうと考えて、どうも周防守の館らしいと分かりました。
そして、千年前の周防守は誰だったのか調べたら、清少納言のお父さん・清原元輔だったんです。全部が偶然につながっていって、本当に魔法にかけられたみたいな感じでした。想像力よりも前に、偶然の方が恐ろしいぐらいだった。全部がセットアップされていくような感覚でした。
コトリ:何か千年前の人たちが監督さんに、「自分たちのことを描いてくれ」って、ものすごく教えてくれている気がしてきますね。
片渕:そうなんですよ。その清原元輔が防府で詠んだ歌には、女の子を連れてきていたことも分かるんです。
そして、その子が長生きしますようにという意味で、千年生きますようにと願いをかけていました。もし本当に彼女が千年生きていたら、現代の僕たちのところまで生きていることになります。何かつながりを感じました。
僕らが今、千年前のことを想像することはできます。けれど、千年前の人が千年後という遠い未来への意識を、言葉の上だけでも言っていたことに感銘を受けました。そこからも、自分に「千年の魔法」がかかっていくようでした。
コトリ:今から千年後のことなんて、現代の私たちは考えもしないし、想像がつかないですね。
なぎ子ちゃんのお友達になった千古ちゃんは、新しい映画には出るのでしょうか?
片渕:さあどうでしょうか(笑い)。でも、清少納言についての他の人が書いた記述を読むと、どうも彼女は一人じゃなくて、相棒がいるみたいです。それが千古ちゃんかどうか分からないけど、そういう人とずっといて、一人ぼっちではないようです。
コトリ:その人と清少納言さんはどんな関係性なんですか?
片渕:貴族の子供は、生まれると乳母(めのと)というのがお母さんの代わりにお乳をあげるんです。お乳が出るということは、その人にも生まれたばかりの子供がいるということになります。その乳母の子供と彼らは一緒に育つので、相棒になっていくみたいです。乳母子(めのとご)と言われる人たちですね。
コトリ:そうなんですね。でも、そういうことを知らない中で新作の映像を見ても、その時代の空気感を知れて、一緒に行ける気分になれますね。
 

頭の中にある子供のころの原体験を引き出して生まれる世界

田中:ほかにもこの「マイマイ新子と千年の魔法」では、想像力でシームレスに異なる時代がつながっていくことが、大きな魅力の一つだと思います。新子ちゃんが千年前を想像してなぎ子ちゃんが登場して、それが貴伊子ちゃんに移っていく。この発想はどのように考えたのでしょうか?
片渕:実はあんまり考えてないんです。毎朝4時ぐらいに、目を覚まします。そのときに頭の中でぐるぐる回るような何かがあって、それが作品への発想になっていくんです。なぎ子への投影が貴伊子に移っていったのもそうやって思い付いたことだったと思います。思い付いたというよりは、考えに考えてわからないまま寝ると、勝手に降りてきているような感覚です。
科学的に言えば、人間は寝ている間に前の日の記憶を整理して、いらないものを捨てようとするらしいんですね。記憶がパンクしちゃうから。その時に、どうも記憶の意味をあれこれ吟味してるのかな? 「これとこれが意味的にくっつくから」みたいな判断が、脳内で生まれたりするみたいです。でも、ふつうは全部忘れてしまう。なので、そうした思いつきを覚えていられるようにメモするようにしています。それで、この作品ができました(笑い)。
ちなみに平安時代では、メモするために枕元に置くノートのことを枕草子といったらしいです。本当は枕草子という言葉は一般名詞としてもあったものなんです。
自分の中で考えて考えて考え抜いたその先に、こうすれば良かったんだって、意外なものを思い付く瞬間は、無意識の中でが多いです。そうした思い付きの意味を考え直して、自分で納得したら作品の上に付け加えています。
コトリ:今お話を聞いていて、「この世界の片隅に」のときは史実や事実に基づいて製作していたイメージがあったんですけど、「マイマイ新子と千年の魔法」はもっと想像力の力を借りて製作されたような印象を受けました。
片渕:「マイマイ新子と千年の魔法」の作中で、ガス冷蔵庫が出てきますよね。あれは原作に登場しないんですが、僕の家にあったんです。最近母親から聞いて分かったんですが、あの冷蔵庫は自分が真夏の生まれなんですが、赤ん坊の僕に与えるお乳が暑さで傷まないようにと買ったらしいんです。つまり、僕のための冷蔵庫だった(笑い)。生まれたときから一緒だったから、昭和30年代ぐらいだとあのガス冷蔵庫があるという記憶が僕の中に残っていて、映画に登場させているんです。
この映画は、そういうその当時の子供のときの自分の感覚みたいなものがそのまま反映されてできています。祖父が映画館をやっていたので、その映画館の雰囲気みたいなものも出てきます。この作品を進めているうちに、どんどん自分が子供の頃の感覚みたいなのが呼び覚まされていって、それが脚本とかコンテなどの作品の土台になっていったんだと思います。調べないでも自分の中に持っている、昭和30年の世界だったんですね。
もちろん、山口県防府市については全く知らなかったから、それはたくさん調べたりする。でも映画の主題である子供の頃の感覚的なものは、そもそも自分の中にあって捨てずにどこかに貯蔵されたものを、一生懸命引っ張り出して作っていきました。
 
田中:マイマイ新子では、終盤に水路を泳ぐ金魚が出てきます。あの金魚は一体どこから来たのでしょうか?
片渕:それも子供の頃の感覚と結びついています。実は、自分が子供のころに、川で遊んでいたら金魚が流れてきたことがあるんです。高樹のぶ子先生も子供のころ、実際にみんなで共有していた金魚が死んでしまった後に、同じように川で金魚を見つけたといっておられました。それを生まれ変わりだと感じたとおっしゃっていました。
ほんとうは理由なんて全くなくて、正体がわからないけど、ただ金魚が流れてきただけなんです。それを死んでしまった金魚の生まれ変わりだと思い込む。子供の想像力の翼みたいなものが作品の一つの大切な部分になっています。
この作品は、ものすごく感覚的なものとか、昔からあった記憶をどれだけ呼び覚ましたかみたいな感じで出来上がっていきました。自分を子供の頃に本当に戻した。どれだけ戻せるかみたいな勝負でした。だからその最後に、「こどものせかい」という題がついた曲をつけていただいて、本当にびっくりしたんです。
金魚については、フランスで行われた子供向けの映画祭でこの作品を上映したときのQ&Aでも聞かれました。小学校低学年ぐらいの男の子から、あの金魚は死んで生まれ変わったんですか、と聞かれました。そのとき僕は、YesかNoどちらで答えても正解ではないように思いました。あるいは、そのどちらかで答えちゃいけないのだとも思いました。なので、「君はどう思う?」と聞いたら、「生まれ変わったんだと思いたい」と答えてくれて。「じゃあ、きっとそうなんだ」と答えたわけなんです。子供自身がどう思うのかということが、大切なんだと思います。
 

根底に流れる死生観と書き終えなければならなかった〝何か〟

田中:「マイマイ新子と千年の魔法」には、そういった金魚にも代表される死生観が重要なモチーフとしてあるように思います。想像力が1千年を行き来して、死んだ金魚を生き返らせることもある。けれど、はっきりと人は死ぬということも描いています。
この死生観のようなものは、最新作の疫病で多くの人が死ぬという描写にもつながっているように見えます。
片渕:そもそも「アリーテ姫」というのを作った時から、そのつながりはあるように思います。アリーテという一人の女の子が、王様の娘なんだから王様の娘として役に立てと役割を押し付けられてしまう。その中で自分の人生って何だろうと考えて、塔の中で閉じ込められているだけの生活から逃れるために、そこから飛び出す。こんなふうに生きようと思ったら生きられるんだということを、「アリーテ姫」では描きました。
そのあとに思ったのは、「人間にはそんなふうに生きられないこともある」ということでした。そんなふうに生きたいなと思っていながら、例えば突然病気になってしまったり、事故に遭ってしまったり、あるいは逆に自身が犯罪者になってしまったりすることもあります。
そうした思いから作ったのが、「ブラックラグーン」です。この作品のOVA版のエンディングでは、登場人物全員が本当は生きたかった姿を描いています。「ブラックラグーン」を作りながら「マイマイ新子と千年の魔法」のストーリーを並行して作っていたので、「アリーテ姫」へのアンチテーゼみたいなものは、この作品の中に出てきていると思っていただいてもよいかもしれません。
願ったように生きたいんだと思っていても、逆に死ぬこともあるし、まっとうな人生を送れないこともある。タツヨシのお父さんは警察官だったのに半ば犯罪者になってしまって、自分で死を選んでしまいます。いろいろな人が生きたいようにちゃんと生きられないことが、そこに象徴されています。だからこそなおさら、子供たちは、自分たちの願うように強く生きたいんだと思うんだろうなと。
では、それが「つるばみ色のなぎ子たち」にどうつながっていくのかは、まだ内緒です(笑い)。
けれど、関係ないとは言いません。パイロットフィルムにも子供の姿はたくさん出てきます。枕草子にも実は子供の姿が出てきます。
コトリ:パイロットフィルムの最後に出てくる文章の意味はどんなものですか?
片渕:それについては、この間、東京の国文学研究資料館というところでシンポジウムをやらせていただきました。まず、立正大学の山中悠希先生に講演していただいて、あの文章は跋文(ばつぶん)と呼ばれる、いわゆる後書きのようなものであると解説いただいたんですね。当時の文章の中には、物語などの最後にそういうものを書いていて、それに倣って枕草子にもこの文章が後書きとしてついていると。
その後に僕がお話しさせていただいたんですが、その後書きについて問題提起させていただいたんです。枕草子は、一般にはツイッターのようなものだと言われたりもします。けれど、ツイッターには後書きなんて書かない。であるならば、後書きがはっきり存在する枕草子は、日々思ったことをそのまま書いて垂れ流しているツイッターのようなものではないと考えることもできるのではないかと。
枕草子の内容は、毎日のことや思いついたことがたくさん並べてあって、無秩序だと思うくらいなんです。思いついたままに書き重ねられている。それに後書きがあるというのは、実は異常なことなのではないか。その文章をパイロットフィルムに登場させました。
あの文章は、「書き終わらなければいけない」と言っています。枕草子には伝わり方の違いからいくつか種類がありますが、この文章はいわゆる一般的な藤原定家が鎌倉時代に書き写したとされる三巻本という種類には載ってないんです。それとは別の能因本という種類には記載があります。
コトリ:その文章の意味から考えると、彼女には書き終えなければいけない〝何か〟があったということですか?
片渕:そう。〝何か〟があったんです。彼女は、ずっと文章を書いて毎日のことを垂れ流す人生はここまでだなと終わらせた。
コトリンゴ:それはなんでなんですか…?
片渕:それは……、今は秘密です(笑い)。映画を楽しみにして待っていていただけるとうれしいです。
 
田中:あっという間に長い時間がたってしまいました。以上でトークイベントは終了です。貴重なお話をありがとうございました。

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ライター
ひとしねま

ひとシネマ編集部

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