「TAR/ター」© 2022 FOCUS FEATURES LLC.

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2023.5.11

エリート女性指揮者の闇を深掘り 権力の行きつく果て 「TAR/ター」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

女性の指揮者、リディア・ターの物語。この人の経歴がまたたいへんなものでして、レナード・バーンスタインの弟子にして、アメリカの主要な交響楽団を指揮し、いまはベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者。民俗音楽を研究する作曲家でもあり、グラミー賞とアカデミー賞とエミー賞ほか、すごい賞をいくつも受賞しています。あれ、そんな指揮者いたっけ、なんて考えちゃいけません。ターは架空の存在だからです。
 


 

華麗な経歴のベルリン・フィル首席指揮者

映画はインタビューで始まります。「ター、ターを語る」という題名の著書が刊行されたのを機会に、ターの話を聞こうという企画でして、聞き手として壇上に登るのは「ニューヨーカー」誌の著名なライター、アダム・ゴプニク本人。ゴプニクの質問に答えることでターの来歴が紹介されるんですね。
 
女性で初めてという役職を次々に経験してきたことにゴプニクが触れると、いや、私だけじゃない、既に多くの女性が指揮者として活躍してきたといくつかの名前を挙げながらターが答えますが、その一方で、活躍する女性という決まり文句にターは耐えることができません。私が頑張ってきたんだ、女性なのにとか女性だからとか、属性をつけて話されたくはない。その意志がしっかり伝わってきます。
 
人に歴史ありなんて感じのこのインタビュー、映画の冒頭なのに映画のなかにテレビ番組が一つ紛れ込んだ気がするくらいにしっかりつくられ、けっこう長い場面ですが、ここに現れるターは堂々とした芸術家でありながら、威張ることなく、ひとつひとつの質問に対して真摯(しんし)に、正直に答えている印象も持たせます。指揮者のことをマエストロなんていいますが、まさにマエストロの風格です。


優れていることを自覚した指導者

次の場面は、ジュリアード音楽院。世界的に有名な音楽の学校ですね。指揮者を養成するプログラムでターが指導に当たるんですが、ここでのターは先ほどのインタビューよりもずっときつい印象を与えます。古典音楽に関心が乏しく、白人男性が支配してきた音楽の世界を忌避する若手に対し、あなたは何もわかっていないと突っ込み、相手の無知と限界を暴露していく。
 
私のように教師をしてきた者はそんなことしたら若手が潰れてしまうと心配になりますけど、ターは潰れたってお構いなしという感じ。ターから見れば当然の行動に思えるのかもしれませんが、学生にとっては横暴で差別的な権力者です。
 
ここに描かれるターは、誰が見ても、とてつもなく優秀で、本人も自分が優れていることをわかっている。すばらしいと憧れる人も、鼻持ちならない、あいつだけは大きらいだなんて人もいるでしょう。この役を演じるケイト・ブランシェットがまた、間違いなく優秀で存在感が強く、共演した役者がみんな食われちゃうような人ですから、演じるキャラクターと俳優が重なってきます。
 

他者を使い捨てる同性愛者

ターにはさらに暗部があります。若い女性をひきつけ、その女性を公的にも私的にも使い、使い果たした後はうち捨ててしまうという行動を繰り返してきたんですね。ターは同性愛者でして、ベルリン・フィルのコンサートマスターと暮らし、養子の子どももいるんですが、その一方でアシスタントの女性を使い捨てにしてきた。精神的に追い詰められた1人がターに連絡を繰り返すんですが、ターは答えない。その女性が自殺してしまったことから、ターは栄光から追い落とされることになります。
 
ここはワインスタイン事件で有名になったハリウッドのパワハラ、セクハラに通じるお話ですね。性的暴行はハリウッドに限った現象ではなく、4人の男性に性的暴行を加えた疑いのためメトロポリタン歌劇場の音楽監督を解任されたジェームズ・レバイン、あるいは4人の女性から性的暴行を加えたと訴えられて英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を退任したシャルル・デュトワのように、クラシック音楽の世界でも性犯罪が暴露されてきました。
 
首席指揮者としての権力なしにはターの行いがあり得ない以上、ターもパワハラ、セクハラの加害者以外の何者でもありません。映画でも行いが暴かれたターは栄光を失いますから、パワハラ・セクハラを題材とする映画として「ター」を捉えることも可能でしょう。


 

「女性と同性愛を差別」か「キャラクター浮き彫りにしたリアリティー」か

ただ、ここは議論が分かれるところ。男性によるパワハラ・セクハラが行われているなかで、どうして女性の同性愛者を主人公にしたのかを疑問視する人もいます。ボルティモア交響楽団の音楽監督を務めたマリン・オルソップは、男性が加害者であることをはっきりと示す事例があるときに女性を加害者として描くことによって、この映画は女性を指導者として受け入れることができるのかと問いかけている、女性が受け入れることのできない作品であると述べています。
 
批評も両極端に分かれています。「ニューヨーカー」誌でリチャード・ブロディは「いわゆるキャンセルカルチャーに焦点を定め」た、アイデンティティーの政治をからかうような時代に逆行する作品と酷評しましたが、同じ「ニューヨーカー」のアンソニー・レーンはフィクションでありながら現実感があるとケイト・ブランシェットの演技を激賞しています。女性と同性愛を差別するという批判と、キャラクターを浮き彫りにした映画という称賛が並んでいるわけです。


内なる空洞体現したブランシェット

さて、どう考えたらいいでしょうか。パワハラ・セクハラを肯定する映画として「ター」を捉えることはできませんが、同時にパワハラ・セクハラを糾弾する目的としてつくられた映画でもない。ターは、ずば抜けた才能に恵まれる一方で自分の手にした権力を自分のために使うことは何とも思わない人間として描かれています。
 
この特異なキャラクターの才能と罪の両方を捉えたことがこの映画の特徴でしょう。ひとりの人間の姿を深掘りにする映画のことをキャラクタースタディーなどと呼びますが、この「ター」はキャラクタースタディーのひとつとして見ることができるでしょう。
 
ターを演じたケイト・ブランシェットは、マリン・オルソップの批判に対して、これは権力について考察した映画であり、権力にはジェンダーがないと述べています。権力にはジェンダーがないと言い切ることに私はためらいを感じます。それでも、権力を持った人間の内部にある空洞をくっきりと描いた点において、「ター」におけるケイト・ブランシェットの功績は大きい。毀誉褒貶(きよほうへん)にとらわれずご覧いただきたい作品です。

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ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。