©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト

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2021.3.18

この1本:きまじめ楽隊のぼんやり戦争 日常の寓話笑って怖く

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)。

最初はたぶん、ギョッとする。俳優は無表情でセリフは棒読み、操り人形のようにギクシャクと動く。そして地味。しかし、ひるむべからず。池田暁監督は確信を持ってこの奇妙な様式を貫き、骨太のメッセージを伝える。ジワジワと面白く、そして怖い。

津平町は川向こうの太原町と交戦中だ。戦闘時間は午前9時から午後5時。役場の職員露木(前原滉)は、出勤すると着替えて持ち場につき、サイレンを合図に川向こうに発砲を開始する。いつからなぜ戦っているのか誰にも分からない。「撃てと言われた場所を撃っていれば大丈夫」なのだ。やがて露木は「楽隊」への異動を命じられる。しかし楽隊の兵舎は誰も知らず、そもそも楽隊があるのかすら分からない。カフカの小説かつげ義春の漫画のような不条理が横溢(おういつ)する。

池田監督はセリフを彫琢(ちょうたく)し、俳優から感情を剝ぎ取って動きを封じた。無味乾燥なバカバカしいやり取りの繰り返しが、乾いた笑いとなる。そして、無意味な戦争や業務遂行が目的化した官僚主義を誰も疑問に感じない津平町に、人間性をなくした社会の恐ろしさがにじみ出す。

硬直化した体制に亀裂を入れるのは音楽だ。トランペットの練習をする露木は、向こう岸から流れてくる調べを聞き、合奏するようになる。何でも質問する新兵が、川を泳いで隣町と往復し露木の元に逃げ込んできた。町は「新兵器」を導入する。

現実味はないから、リアリズムで演出されたらとても見られなかったろう。しかし様式化された画面から、寓意(ぐうい)はかえってリアルに迫るのだ。

映像産業振興機構(VIPO)が、文化庁委託の人材育成事業の一環として製作に参加した半官製映画だ。強烈な個性を持った才能への投資、むだにはなるまい。

1時間45分。東京・テアトル新宿、大阪・テアトル梅田ほかで26日から。(勝)

ここに注目

川の向こう岸から凄(すご)い脅威が迫り、川上で凄い戦いが繰り広げられているというセリフがしきりに飛び交うが、主人公も観客も何が凄いのかさっぱりわからない。上の命令に黙って服従する人間の無知や無気力を風刺した喜劇だが、徹頭徹尾、大げさな演出と作り手の主張を抑えた様式ゆえに、得体(えたい)の知れない不気味さを宿す寓話となった。冗談のように規則正しく反復される日常にちらつく死の影、川辺に響くトランペットの音色に胸がざわめく。この並外れた感性が息づく異形の映画、終盤には笑うに笑えない痛みと戦慄(せんりつ)すら呼び起こす。(諭)
 

技あり

池田監督は画角を先に決め、カメラは動かないユニークな手法で撮る。池田直矢撮影監督は感情を殺した硬い画調で応えた。露木が初めて楽隊の兵舎に入った場面。右手前の指揮者が、狭い中で隊員4人を紹介する。奥に前指揮者の遺影とトランペット、天井に光取りの格子。密の状態でアップは無理だから、話を進めるのにドンデン(正反対)を繰り返し、独特なテンポが出る。終幕、露木は川べりで音楽の友へ鎮魂の演奏をする。ここだけ引きサイズからアップまでズームで寄り、非常に情緒的。巧みに仕組んだアレゴリーだと納得した。(渡)

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