ひとしねま

2022.10.21

チャートの裏側:郷愁を超え映し出す今

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

映画には、いろいろな形がある。「耳をすませば」は、スタジオジブリのアニメーション(同タイトル、1995年)の続編的な実写作品だ。オリジナル部分と、その10年後が話の中心で、88年と98年の時代が描かれる。10年を経て、主役の男女2人は中学生から社会人になる。

この時代は、人と人のつながり方が今とは異なる。本作は、その違いの生々しさを主に恋愛と仕事を通して活写する。ラブレターを書く。図書館で出会う。2人の関係が教室内ではやし立てられる(中学生時代)。公衆電話から海外に電話する。上司にどなられる(社会人時代)。

これらをはじめとする描写の数々が妙に身に染みる。昔は良かった、良くなかったではない。肌触りのようなものだ。気持ちがヒリヒリする。それは郷愁を超えて、人間関係が変貌した今の時代をも映し出す。何を喪失したのか。見る者それぞれに、いくつもの思いがよぎる。

ただ、このような映画の形は、人々の関心をどこまで広げることができるだろうか。興行のスタートでは、広がりは限定的だった。今回の実写版の立ち位置は、アニメ版公開時とは違う。27年という歳月は過酷である。複雑極まる今の時代は、肌触りの先、あるいは別の要素が、興行上では求められるのではないか。興行の難しいところだ。(映画ジャーナリスト・大高宏雄)