毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.4.07
この1本:「アネット」 歌劇で新たな古典創造
レオス・カラックス監督10年ぶりの新作は、ミュージカルだ。「汚れた血」「ポーラX」など寡作ながら鮮烈で独特の映画を作る鬼才の、独創的音楽悲劇である。
人気絶頂の舞台芸人、ヘンリー(アダム・ドライバー)がオペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)と電撃結婚し、アネットが生まれる。そこから始まるヘンリーの転落物語を、カラックス監督は独特の語り口と映像を駆使し、スパークスの楽曲に乗せてつづってゆく。
冒頭の録音スタジオ、カラックスのキューで「さあ始めよう」と歌い始めたスパークスの2人は、立ち上がって歩き出す。ブースから出るとドライバーやコティヤールも加わり、建物を後にして歌いながら町の中を進む。長いワンカット、オペラのプレリュード風の出だしから、カラックスの映像世界がさく裂する。
セリフは全て歌となり、生まれたアネットは人形だ。船旅の途中でアンが死に、幽霊となってヘンリーに取りつく。光を浴びて美しい声で歌うようになった赤ん坊のアネットを、ヘンリーは見せ物のように舞台に上げて世界中で公演、アネットはたちまち人気者となった。
映画のモチーフはオーソドックス。オペラの舞台上で悲劇のヒロインとして死ぬアンと、観客を笑いで殺すコメディアンのヘンリー。生と死の対比が全編を貫き、愛と憎しみが交錯する。通常の音楽劇なら音楽が情感を盛り上げるが、身勝手で非情なヘンリーには感情移入の道がない。見ている方は面食らいながら、アネットの運命を追い続ける。
やがてヘンリーは報いを受ける。カラックス監督は映画の最後にアネットとヘンリーを対峙(たいじ)させ、厳しい結末を用意した。ここに至って初めてヘンリーに情が湧く。カンヌ国際映画祭監督賞を受賞したが、好みの分かれそうなカラックス節である。2時間20分。東京・ユーロスペース、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
2時間半という長さなのに主要な登場人物は多くないしストーリー自体はシンプルで普遍的。そして死と生の間を行ったり来たりしているようなアンを見ていたら、能を思い出した。そうか、これはこういう作法の、私が見たことのないジャンルの古典芸能だと思えばいいのだと思ったら、個性的な演出や赤ちゃんが人形であることを受け入れて楽しめるようになった。新しい作法を違和感なく楽しめる、または違和感を楽しみたい人は予備知識なく見たほうがいいし、そうでない人はある程度準備して見ることを勧めたい。(久)
技あり
監督経験もあるキャロリーヌ・シャンプティエが撮った。アンが生んだ子供が人形というリアリズムでは対処できない話を画(え)にするのは面白い仕事だ。嵐の夜の甲板で、アンとヘンリーが踊る。人物に当たる光は腕の見せどころだが、上からの柔らかな光で処理し、納得のいく出来だ。アネットお目見えの舞台では、客席の子供たちの反応に寄った画が3カット。異なる角度の光で処理し、座席の違いを分からせる丁寧さ。撮影監督にとって、セットで暗闇から劇的空間を作る照明はやりがいがある。つやのある画は、他の追随を許さない。(渡)