「キネマの神様」

「キネマの神様」©2021「キネマの神様」製作委員会

2021.8.05

この1本:「キネマの神様」 はみ出し者、夢の続き

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

山田洋次監督による、松竹映画100周年記念作。はみ出し者のダメ男への慈しみと黄金時代の撮影所への郷愁、そして家族の絆。山田監督が繰り返し描いてきた主題が詰め込まれた人情ドラマ。1986年の松竹大船撮影所50周年記念作「キネマの天地」と対になるような一作だ。

ゴウは酒好きでギャンブル依存。友人テラシンが館主の名画座に入り浸る。妻の淑子に苦労をかけ通し、娘の歩の職場にまで借金取りの電話がかかる始末だ。ゴウはかつて撮影所の助監督で、監督デビューを目前に挫折していた。

映画は50年前のゴウの青春時代と2020年を行き来する。映画への夢を語り淑子との愛を育てる青春編、現代編では初監督をするはずだった自分の脚本を、孫と書き直して脚本賞に応募する。現代編はゴウを沢田研二、淑子を宮本信子、青春時代は菅田将暉と永野芽郁が演じる。

非正規雇用の歩が出版不況で雑誌社を解雇されたり、新型コロナウイルス禍でテラシンの映画館が苦境に陥ったりと今の風景を取り込み、撮影所は機材やロケセットを作り込んで再現。清水宏や小津安二郎ら、若き山田監督が撮影所で出会った巨匠がモデルの監督が登場し、活気にあふれ家族的な雰囲気を醸し出す。淑子と映画へのゴウの愛情が背骨となった物語は、松竹大船調の人間愛に彩られる。山田組らしく画面は隅々まで充実し、映画の楽しみは存分に味わえる。

ただ、寛大すぎるのがいささか気になる。スクリーンから登場人物が現れるゴウの脚本のアイデア、20年までには何度も映画化されて斬新さは失われている。50年前にしては撮影所がにぎやかすぎでは。ゴウが数十年にわたって強いた淑子の忍耐と犠牲は、晩年の快挙一つで帳消しにできるのか。最後まで身勝手を通したゴウは、さぞかし幸せかもしれないが……。2時間5分。東京・新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマほか。(勝)

異論あり

ギャンブルに溺れ、娘に借金を返済してもらっても平気な顔をしている現代のゴウはただの迷惑なおじいさんにしか見えず、「愛すべきダメ男」として描かれていること、妻子がゴウを甘やかし続けてきたことに違和感を覚えた。一度は捨てた映画をなぜゴウは愛し続けることができたのかという点もよく分からないが、映画には魔法のような引力があるということなのかも。過去パートのゴウは輝いていたし、好きなように生き、人生の最晩年にもう一度夢を追いかけることができたその生き方は、ちょっとうらやましくも感じた。(倉)

技あり

山田監督が1954年、松竹大船撮影所で助監督になった頃のノスタルジーでつづられる。撮影所のイメージは、助監督時代に唯一仕事した大船以外にない。セットに鎮座するのは、当時は世界で80%を占めたミッチェルNC型カメラ。鈴木清順監督は「セットからNCが消えて映画は乱れた」と言った。ゴウの「キネマの神様」を撮るカメラマンは森田という。山田監督の第一作「二階の他人」は森田俊保撮影監督だった。山田監督はかつて「ヨウちゃん」と親しまれ、将来を嘱望された。松竹映画100周年記念にふさわしい出来だ。(渡)

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