「仏教の次に映画が大好き」という、京都・大行寺(だいぎょうじ)住職の英月(えいげつ)さんが、僧侶の視点から新作映画を紹介。悩みを抱えた人間たちへの、お釈迦(しゃか)様のメッセージを読み解きます。
2022.8.04
「プアン/友だちと呼ばせて」生きる悲哀を見つめることで:英月の極楽シネマ
けんか別れして国に帰った友人からの突然の電話で、米ニューヨークからタイに呼び出されたボス(トー・タナポップ)。白血病で余命を宣告されたその友人・ウード(アイス・ナッタラット)に頼まれ、彼のかつての交際相手たちを訪ねる旅に運転手として付き合わされます。彼女たちに過去の出来事を謝り後悔なく死んでいきたいと言う彼と共に、バンコクからコラート、サムットソンクラーム、チェンマイへと旅をします。命の恩人でもあったウードのためにと思っていたボスですが、旅の終わりに自身の生まれ故郷・パタヤに着いた時、本当の目的を知らされます。ウードが会って謝りたかったのは、元カノたちではなくボスだったのです。
自分の人生の終わりと向き合った時、あなたはその時間を何に使いますか。ウードは謝罪を選びましたが、その行動は自己満足にすぎないようにも見えます。事実、元カノたちは会うことを拒絶しただけでなく、彼の身勝手さに怒りました。謝罪は時に人を傷付けます。けれども私たちは、誰も傷付けないということはできないのです。悲しいことですが、その事実を知ることで開かれる世界もあるのではないでしょうか。
仏教の教えに生きた詩人、浅田正作のこんな詩があります。「自分が可愛い/ただ それだけのことで/生きていた/それが 深い悲しみとなったとき/ちがった世界が/ひらけて来た」。病気になったことで、大事な人たちを傷付けていたと知らされたウードと重なります。そしてウードに関わったすべての人たちもまた、その事実に触れ、かたくなに閉じていた自分の考えや思いが開かれたのです。8月5日からシネ・リーブル梅田ほかで公開。