「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.13
毎日映コンの軌跡⑪ 技術部門を手厚く顕彰 専門家と評論家が議論し評価
毎日映画コンクールの特徴の一つは、技術部門を手厚く顕彰していることだ。
第1回(1946年度)から、監督▽脚本▽撮影▽音楽――の各賞を設け、第2回で録音、美術両賞が加わって、現在と同じ形になっている。米国のアカデミー賞をお手本としたようだ。毎日映コンの選考委員でもあった映画評論家の飯島正は48年、技術賞について「日本映画の技術を進歩させるうえに効果があることと信ずる」と書いている。
当時、技術部門の賞は、47年度から始まった日本映画技術協会(後の日本映画テレビ技術協会)の「日本映画技術賞」があった。撮影、照明、録音、美術などの部門で、協会員である技師が賞を選んだ。その後、各職能団体が賞を設け、78年には「日本アカデミー賞」が創設された。技術部門では毎日映コンの区分に加え、撮影賞と抱き合わせの形での照明賞と、編集賞も設けている。
毎日映コンは、選考方法でも独特だ。「日本映画技術賞」は、各部門で技術者が討議して選考に当たり、「映像技術が作品にどう貢献しているか」を基準とする。作品そのものよりも、技術水準に重きを置いて、専門的な観点から評価している。一方の「日本アカデミー賞」は、日本アカデミー賞協会員の映画人の投票によって賞が決まる。作品賞を受賞した映画に賞が集まる傾向があり、これまで38回のうち、最優秀作品賞と監督賞が異なるのは10回だけ。
対する毎日映コンは、技術者と映画評論家が議論を戦わせて賞を決めている。専門家の意見を聴きつつ、作品全体の完成度にも目配りし、単純な多数決によらず評価する。作品賞の監督が監督賞を受賞したのはほぼ半分である。