ドキュメンタリー映画賞 ヤン ヨンヒ=北山夏帆撮影

ドキュメンタリー映画賞 ヤン ヨンヒ=北山夏帆撮影

2023.2.03

ドキュメンタリー映画賞「スープとイデオロギー」ヤン ヨンヒ監督 韓国現代史のタブーと母親の過去をたどる長い旅:第77回毎日映画コンクール

毎日映画コンクールは、1年間の優れた映画、活躍した映画人を広く顕彰する映画賞。終戦間もなく始まり、映画界を応援し続けている。第77回の受賞作・者が決まった。

勝田友巳

勝田友巳

毎日映コンでは「かぞくのくに」(2012年)で脚本賞。ドキュメンタリー部門の選考委員も経験している。「信頼している賞で、光栄です」
 
在日コリアンである自身と家族のアイデンティティーを問い続けてきたヤン ヨンヒ監督。受賞作「スープとイデオロギー」は、「ドキュメンタリーでは3部作、家族シリーズなら4部作」となる。在日1世の母親の人生と韓国現代史のタブーとされる「済州4・3事件」を重ねた。「予定も計画もしていなかった」という長い旅も、「これでやりきったかな」。
 


 

共産主義者排除の名目で虐殺「済州4・3事件」

デビュー作のドキュメンタリー「ディア・ピョンヤン」(05年)と続く「愛しきソナ」(11年)で北朝鮮に住む親族を描き、そのために北朝鮮に入国できなくなると、体験を元にした劇映画「かぞくのくに」を発表。毎日映コン脚本賞を受賞している。母親が4・3事件の体験について話し始めたのは、09年に父親が亡くなった後からだという。
 
4・3事件は1948年、済州島で起きた民衆の武装蜂起を、米軍政が鎮圧する過程で3万人ともいわれる島民が犠牲となった悲劇。共産主義者排除の名目で住民を拷問、虐殺し、多くの島民が島を脱出、日本に密航してきた。ヤン監督の母親はその1人で、18歳の時、妹の手を引いて命からがら日本に渡った。韓国でもタブーとされてきたが、近年検証と記録が進んでいる。
 
「母は事件について、恐ろしいことで聞かない方がいいし、在日の人にも話を出さない方がいいと言っていた。ポツリポツリと口にするものの、聞くと『忘れた』。『行ったこともない』とまで」。母親は大阪市生野区に住んで夫とともに朝鮮総連を支え、帰国事業で北朝鮮に渡った兄たちに送金を続けていた。借金をしてまで送金することに、ヤン監督が怒る場面も映画に収められている。


「スープとイデオロギー」©PLACE TO BE, Yang Yonghi

「事件に触れるな」韓国民主化の実感なく口を閉ざした母親

「総連系なので韓国の情報がなく、民主化されたことを実感として知らない。母の頭の中には、反共主義時代の韓国がこびりついていたのだと思う。韓国が変わったと私がずっと話したことで、口を開いたのかもしれない」。母親はカメラの前で体験を語り、韓国の事件記録団体にも協力し、済州島の慰霊式典に参加する。一方で認知症が進み、次第に記憶が混乱していく。
 
はじめは短編にしようと考えていたという。「4・3事件は重すぎて扱いきれないと思っていた」。しかし16年、ヤン監督が日本人ジャーナリスト、カオルさんと結婚したことで、様相が変わる。「夫が入るなら新しいものになる。初めてあいさつに来た時、長編になると思った」と明かす。着慣れないスーツ姿で、汗をかきかきヤン監督の実家を訪れたカオルさんは、母親とすぐに意気投合。母親に鶏スープの作り方を教わり、4・3事件と母親のルーツをたどって韓国まで訪れる。


 

夫カオルさん登場で、長編映画に

「彼も、母を魅力的で面白いと聞き手になってくれたし、母も新しく家族になる日本人に丁寧に具体的に話してくれた」。事件や母親の人生の凄絶(せいぜつ)さと、ニンニクを詰めて煮込んだ鶏スープをおいしそうに食べる家族の姿が対照され「スープとイデオロギー」の象徴となる。カオルさんは、4・3事件や在日社会と、日本との懸け橋の役割を果たした。
 
「母が『口にするな』と私に命じたのは、大阪の在日1世に4・3事件から逃げて来た人が多いと知っていたからでしょう。『あの人はほんとに苦労したんや』と言っていた同世代の仲の良い友人たちが、あの人もこの人も実は避難してきたのだと、ずっと後になって教えてくれた。同じ体験をしていて、説明がいらない共通項があったんですね」
 
映画は韓国でも上映され、反響は大きかった。「予想以上でした。韓国の歴史だと思っていた4・3事件が在日の社会に影響し、韓国も日本も信用できず北を選んだ人がいるということがショックだったようです」。親の認知症や新しい家族と生きていくことといった普遍的なテーマも共感を得た。「それから、スープに使った日本のニンニク。こんなにツヤツヤなのかと(笑い)」


 

日本人は在日について知らなすぎる

ヤン監督は日本の朝鮮大学校を卒業後、ニューヨークで映像を学んだ。自身の背景を作品のテーマに選んだのは「日本人がなにも知らないから」という。
 
「生まれ育った在日のコミュニティーを出たら、質問ばかりされたんです。『国籍はどこ』『日本名は使わないのか』『日本語上手だね』……なんで、なんで、と。日本の社会を作っているのに『フー・アー・ユー』『どうして日本にいるのか』とずっと問われ続けている。そういう出自の人はいっぱいいて『知らないの、それなら映画見て』と」
 
一方で、そうした背景に「決別したかったんだとも思う」という。「徹底的に分かった上でないとできない。疑問が残るから、ずっと考え続けていた」


 

個人がおろそかにされることに腹が立つ

「スープとイデオロギー」には生前の父親の姿も収められ、「いつからと言えないくらい」長い取材となった。「50歳を過ぎて、自分が難民の娘だと知って、新しいアイデンティティーを発見しました。自分をしっかり知ることですごく自信がつきます。もうちょっと早く、母の認知症が進む前だったらとも思うけれど。今は、すごいやりきった感じです。家族のことはもういい、みたいな。これだけ時間がかかるってことですよ」
 
次は劇映画を撮りたいという。それでも、通底するテーマはある。「興味があるのは、国家や組織と、個人。同調圧力や大義名分で、一人一人がおろそかにされることに腹が立つ。自分もそういうコミュニティーにいたから。少数派が切り捨てられるのではなく、個人が大切にされる民主主義であるべきだと思う。会社とか祖国とか革命とか、個人を無視するものに疑問を呈していくのが、私のテーマ。正しい、間違っているとジャッジするのではなく、悩んだり迷ったりするグレーゾーンを描くのが、文学であり映画だと思う」

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

カメラマン
ひとしねま

北山夏帆

きたやま・かほ 毎日新聞写真部カメラマン