毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.10.14
この1本:「スペンサー ダイアナの決意」 封じられた希望の寓話
エリザベス女王逝去を嘆く英国民をニュースで見るにつけ、女王がいかに慕われたかを実感した。しかし王室が居心地のいい場所とは限らない。「スペンサー」は悲劇の皇太子妃、ダイアナが主人公だ。1991年のクリスマス、女王の私邸、サンドリンガム・ハウスで王室を去る決意をするまでの3日間を描く。といっても事実を再現するのではなく、王室という制度の牢獄(ろうごく)にとらわれた一人の女性の、絶望と孤独を描き出すのだ。
ダイアナ(クリステン・スチュワート)はクリスマスの行事がイヤで仕方ない。自分で車を運転して道に迷ったうえに寄り道までして大遅刻。遅れたダイアナをとがめるでもなく、義母(つまり女王)や夫(皇太子)をはじめ居並んだ王族たちは冷ややかな目を向けるだけ。3日間の行動は着る物まで定められ、ぐずるダイアナをせかす侍従たちは決して逆らわないが、ダイアナが従うまでその場を動かない。一挙手一投足が見張られ、しかも筒抜け。
壮麗だが温かみのない屋敷と、その中の無表情な人々。逃げ道のないダイアナは追い詰められて文字通り食事も喉を通らず、次第に正気を失って妄想と現実が混然となっていく。その姿はまるで、不条理な迷宮に迷い込んだ悪夢的ホラー映画のヒロインだ。
映画の中で、クリスマスを仕切るグレゴリー少佐(ティモシー・スポール)はダイアナに「英国軍兵士は人間ではなく王冠に忠誠を誓う」と諭す。先ごろ公開されたドキュメンタリー「エリザベス 女王陛下の微笑(ほほえ)み」では、王冠に人生をささげた女王が気高く描かれていた。対照的に本作では、王冠に自由と希望を封じられた皇太子妃の苦悩が克明に描かれる。制度と個人を巡る寓話(ぐうわ)。日本で見れば、菊のカーテンの向こう側にも想像が巡ることになろう。
パブロ・ラライン監督。1時間57分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)
ここに注目
戦争でも始まるのかという物々しさで、大勢の軍人が女王の私邸にクリスマスの食材を運び込む冒頭から目がくぎ付けに。そんな珍しい〝英国王室のクリスマス映画〟としても興味をそそられるが、ラライン監督はダイアナの主観的な視点で全編を物語り、抑圧された彼女の内面を巧みな描写であぶり出した。ヘンリー8世に処刑されたアン・ブーリンの亡霊、夫チャールズの裏切りを象徴する真珠のネックレス。さらにダイアナが自由だった少女時代へと回帰する終盤は、情感とサスペンスが時を超えて混じり合い、出色のシーンとなった。(諭)
技あり
クレア・マトン撮影監督はフィルムで撮り、奇麗な軟調でまとめた。導入部で、かかしを見つけたダイアナが小走りで確かめにいく場面、晴れていても日本画の「朦朧(もうろう)体」のような柔らかさ。邸内の多数のロウソクは装飾で、見せ場の晩さんの広い空間から、暗い息子たちの寝室まで、巧妙な照明で軟調表現を作る。要所を締める美しいダイアナの大きいアップでピントが甘く見えるのは、軟調用フィルターやレンズの絞りを開いて、見た目の柔らかさを作ったからだ。2019年セザール賞撮影賞の「燃ゆる女の肖像」からの進歩が見えた。(渡)