毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.10.07
この1本:「ONODA 一万夜を越えて」 凄絶な孤独を生き抜く
太平洋戦争後の29年間、フィリピンのジャングルにとどまった小野田寛郎を、フランスのアルチュール・アラリ監督が映画化した。史実を正確に再現することには重きを置かず、むしろ異様な緊張状態に長期間置かれた人間の成れの果てを見ようとする。
航空兵になる夢が挫折した小野田は、陸軍中野学校でゲリラ戦を教え込まれ、やがてフィリピン・ルバング島に赴任する。「玉砕は許さない、生き延びて情報を送れ」と命じられたものの敗色濃厚な戦況で兵士の士気は低く、小野田は体力と気力の残っていた3人と共にジャングルに潜伏する。
アラリ監督はキャラクターを掘り下げて物語を語るより、時間の積み重ねを見せようとする。小野田がスパイに仕立てられるくだりや、ジャングルを部下とさまよう中盤までは、状況説明的な場面の連なりでいささか精彩を欠く。部下が1人、また1人と消えて、小野田と小塚の2人だけになったあたりから、映画の密度はグッと濃くなる。
時が過ぎるにつれて戦争の影は薄くなり、ジャングルにとどまる目的が揺らいでいく。戦争への疑問を抑え込み、生きる意味をかき集めるように命令にしがみつく。情報収集やかく乱とは名ばかりで、住民を殺し略奪して食いつなぐ。日本からの捜索隊が投降を呼びかけると、父親そっくりの敵の謀略だ、新聞記事は捏造(ねつぞう)だと牽強付会(けんきょうふかい)する姿は、喜劇的様相すら帯びてくる。
圧巻は、小野田が独りになってから。擬装してジャングルを巡回し、部下を埋葬した場所で「忘れていない」とささやきかける。すさまじい孤独の描写は、ここまでの映画の長い時間があってこそ。げっそりと痩せて表情をなくした津田寛治が、凄絶(せいぜつ)さと哲学性も漂わせる。肉体も精神も亡霊のようになった小野田を通して、生と自由の意味を問うのである。2時間54分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)
ここに注目
陸軍中野学校の谷口教官を演じたイッセー尾形の存在感がすごい。「玉砕は一切まかりならん。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」。戦争を生き抜くことを厳命した谷口の訓示が、小野田をはてしない徹底抗戦に導いてしまうとは何たる皮肉だろう。中盤以降、小野田がもはや何と戦っているのかわからない状況は不条理の極み。アラリ監督はそれを戦争のむなしさや狂気に集約せず、残虐な逸話とユーモラスな場面を同等に描き、多様な感情をあぶり出した。日本人の多くが知る伝説を映像で見ることのインパクト、圧巻である。(諭)
技あり
撮影監督はアラリ監督の兄トム。カンボジアで4カ月かけて撮影した。小野田たちの行動には疑問が残り、劇間の魅力的な情景を素直に評価していいのか迷う。収穫期に銃声で農民を脅して作物を奪い、後に火をつける。開けた風景の後ろに岩山がそびえる絶景だが、匪賊(ひぞく)同然の行動は肯定できない。また海岸の住民を追い払って水浴びを楽しみ、雲間に赤い太陽が沈むのも、まれな光景だ。小野田と小塚だけになり、激しく雨が降る中、岩盤の上で防水布にくるまれて寝る場面も奇観だが、小野田が始めた遊撃戦の帰結を物語るものだ。(渡)