2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。
2022.11.23
「映画館のあった風景」第3回 北海道・南富良野町編 「鉄道員(ぽっぽや)」の思い出
根室本線 幾寅駅舎
「寒かった~~~」。ロケから帰ってきた高倉の第一声。
1999年1月に北海道南富良野町でロケが行われた「鉄道員」は、94年「四十七人の刺客」以来、5年ぶりとなる映画出演でした。
99年1月14日に、東京を出発。
翌15日に滝川駅での撮影後、16日にはトマムに移動。
17日から約2週間、幾寅駅での撮影に臨みました。
線路の枕木に打たれた表示クギ
ケ:ケンパス材 枕木防腐会社:北海道室蘭市 山陽木材防腐(株) 防腐剤:A=クレオソート 防腐処理:90年
幾寅いくとら・ふきとら
「網走番外地」「八甲田山」「南極物語」「海峡」「駅 STATION」。
高倉の代表作は、どれもこれも寒い場所で撮影されている印象ですが、「寒かった~~~」と高倉が話したことを調べてみると、99年「鉄道員」撮影時、平均気温はマイナス6.8度、平均風速は3.48m/s。
問題はこの風速で、前年98年の同じ時期の平均風速は1.85m/s、00年は1.65m/sですから、99年のこの時期は前後の年の約2倍の風の強さだったことがわかりました。
一般的に、風速1m/sで体感温度が1度下がると言われていますから、ロケの寒さには耐性を誇る高倉にして、夜間撮影も多かったこのときの気候は、なかなかに手ごわかったことでしょう。
「私らは、この辺りの風の強さを、幾寅(いくとら)じゃなく吹き寅(ふきとら)だって言うんです(笑い)。雪なんか降ってきて、風が強くなると、もうまったく身動きとれませんからね」と話されたのは、「鉄道員」撮影時の幾寅婦人会長さんのご主人佐藤茂さんです。
99年「鉄道員」の撮影から今年で早23年。
長い歳月が流れましたが、私が南富良野町の皆さんと今でも交流を続けられているのは、撮影当時、ロケ隊の炊き出しや撮影のサポートをしてくださった婦人会や商工会青年部の方々が高倉のことを大切に思い、ご縁を絶やさずにいてくださったお隂です。
映画の中では幌舞駅として登場した幾寅駅舎周辺の草花の維持管理を、婦人会有志の方々がボランティア活動として続け、毎年高倉の命日11月10日には、駅舎内に高倉の遺影と花を供えて偲(しの)ぶ会を催して、当日、駅舎を訪ねてくださるファンの方々に、撮影時、炊き出しのメニューだったいも団子や、高倉が好きだったコーヒーを振る舞ってくださっています。
新型コロナウイルスが猛威を振るう以前は、日本各地から、遠くは中国や韓国からも、幾寅駅舎を訪れてくださったと伺いました。
幾寅・いくとらはアイヌ語から
北海道の地名のおよそ8割は、アイヌ語に由来するものと聞きました。
アイヌ語地名の音に、漢字やカタカナを当てはめたもの。
アイヌ語の地名の意味に合った漢字を当てはめたもの。
それにしても、幾寅(いくとら)とは、なんと個性的な地名でしょうか。
高倉他界後、婦人会の方々から偲ぶ会についてのご相談を受け、15年冬に初めて幾寅を訪ねたとき、南富良野まちづくり観光協会の小林茂雄さんから、
「幾寅は、ユクトラシペッというアイヌ語から名付けられています。
ユクは、アイヌ語で獲物の意味ですね。ここでは鹿を指します。
トラシは、アイヌ語で越えていくところ。ペッは、川ですね。
上川(かみかわ)、旭川とか富良野の辺りはものすごく雪が深くて、鹿は、人の膝の高さまで雪が積もると、餌が取れなくなるだけでなく、歩けなくなって死んでしまうんです。
だから、鹿の群れは、秋になると雪が降る前に空知川(そらちがわ)を上って、ユクトラシュベツ川を越えて、雪の少ない十勝や日高の方に抜けて行くんです。
そして、春。3月くらいになると、雪の少ないところから幾寅峠、ユクトラシュベツ川を通って、こちらの富良野や旭川に戻るんです。これが幾寅の語源といわれています。
北海道の名づけ親、松浦武四郎による蝦夷図(1859〈安政6〉年)にも、ウフトラシヘツと書かれています。
僕自身も、寅の漢字が使われている地名って面白いなって、調べたことがあるんですが、駅名に“寅”が使われているのはここだけです。東京の虎ノ門とか、北海道白老町の虎杖浜(こじょうはま)とか、“虎”が使われているのはあるんですけどね」と、ご説明いただきました。
蝦夷鹿(えぞじか)の季節的な移動は、太古の昔から今に続いています。
【串内牧場】
ちなみに、南富良野の富良野という地名の語源は、アイヌ語のフラヌイ。
“フラ・ヌ・イ=臭気・もつ・所”、火山(十勝岳)の硫黄臭に由来するとされています。
(「北海道駅名の起源」国鉄札幌鉄道管理局 昭和37年より)
イラスト 梅田正則
プロフィール
48年、新潟生まれ。テレビ・映画美術監督。
テレビドラマ「北の国から」「踊る大捜査線」「ロングバケーション」「これから~海辺の旅人たち~」(主演:高倉健)、「若者たち2014」ほか数多くの作品の美術監督をつとめる。22年、実写世界からアニメに挑戦。69~74歳まで6年かけて「ケンタのしあわせ」(3分55秒)を、梅田正則監督作品としてついに完成させた。