ベルファスト Ⓒ2021 Focus Features, LLC.

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2022.3.21

いつでもシネマ: ベルファスト 北アイルランド紛争で失われた楽園と平和への思い

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

少年の目から描く人生の美しい季節

 
北アイルランド紛争を題材にした映画。こう申し上げると何だか血生臭くて怖い映画みたいですが、そうじゃない。夢と希望があるくらい。今回はその謎を解き明かしたいんですが、その前にまず、北アイルランド紛争って何なのかを申し上げなくてはいけないでしょう。
 
宗教、言語、民族の異なる人が同じ地域のなかに暮らすことは決して珍しくありません。当たり前のことだ、それが本来あるべき姿だとさえ言うことができるでしょう。それでも宗教、言語、民族の違いが世界各地で苛烈な軍事紛争を生み出してきたことを私たちは知っています。そのような紛争では、隣近所で一緒に暮らしてきた人たちが、敵味方に分かれて、争う。ケンカするなどという段ではなく、武器によって相手を排除してしまうんです。


 

英国からの独立巡り衝突 死者3600人

北アイルランド紛争は、そんな紛争の一つでした。背景にはイギリスのアイルランド支配があるわけでして、苛烈な権力行使と収奪が行われました。第一次大戦中、イギリス統治から独立する運動がデビッド・リーンの語られることの少ない傑作、「ライアンの娘」(1970年)の背景でした。で、イギリスからアイルランドは独立しますが、プロテスタントの住民が多数だった北部はイギリス領に残され、公共行政、言語から教育まで、プロテスタント系が優位に立つ政治が続きました。
 
とはいえ、プロテスタントの住民もカトリックの住民も、隣近所で暮らしていた。ところが60年代の末から70年代初めにかけて、対立が一気に軍事化します。英語ではトラブルズと呼びますけれど、トラブルなんて言葉はいかにも英国的な控えめ表現に過ぎません。本土と一体を保とうとするプロテスタント系では民兵組織アルスター義勇軍(UVF)、さらにアルスター防衛同盟(UDA)とその傘下の防衛軍(UDF)が、一方、アイルランドと一緒になろうとするカトリック系もかつてのアイルランド独立戦争における共和軍の流れをくむIRAと、そこから分かれたIRA暫定派など、急進的な軍事路線をとる組織が生まれ、武力衝突を繰り返したんですね。
 
イギリス軍や治安部隊が投入されますが、それがまた紛争を広げる原因にもなり、爆弾テロも続きました。犠牲者も数多く、98年にベルファスト和平合意が結ばれるまでの間の死者はおよそ3600人、負傷者は3万人以上とされています。


 

家の外の争いと、貧しくても幸せな家族

今回ご紹介する「ベルファスト」は、プロテスタント系の家族のお話です。主人公は、9歳の少年バディ。両親、祖父母、そして兄と暮らしていますが、お父さんはイギリスに働きに出ているので、家にいることは少ない人。しっかり者のお母さんが家族を支えている感じです。家族は貧しくても幸せなんですが、家の外は争いでいっぱい。プロテスタント系勢力とカトリック系勢力が戦い、どちらかの味方にならないと許してもらえないんですね。お父さんがプロテスタント系急進勢力に参加を求められ、それを拒んだために執拗(しつよう)に嫌がらせを受けてしまう。急進勢力に加わることなくベルファストに住み続けることが可能なのか、それとも出て行かなければならないのか、そこにサスペンスが生まれます。
 
いうまでもなく、監督のケネス・ブラナーは、ローレンス・オリビエと並び称される希代のシェークスピア俳優にして演出家。ほとんどをモノクローム、白黒の画面で通しながらカメラは縦横無尽に動かしたりしますから舞台劇とは正反対なのに、大事なところでは一人一人の俳優に見せ場を提供し、多彩な演技を引き出して、キャラクターを深掘りにしています。だからバディのお父さんお母さん、おじいさんおばあさん、それに不良っぽい従妹(いとこ)、みんな型どおりじゃなくて、観客も自分がよく知っている人のように感じさせられる。今年度のアカデミー賞で、作品賞を含む7部門にノミネートされたのも納得です。
 
この「ベルファスト」、映画のすべてが少年の視点から描かれているのがポイントです。家族の仲がとてもよく、出てくる人もほとんどがいいひとなんですが、ちょっとみんないい人過ぎる。実はこれ、バディの視点からはこう見えるということなんです。さらにブラナー監督は、まさにこの69年ごろにベルファストで育ったとのこと。少年の頃を思い出したノスタルジーいっぱいの、いわば自伝映画なんです。おまけにバディは映画が大好きで、「チキ・チキ・バンバン」(68年)をはじめとした映画に連れてってもらうと、もう幸せいっぱい。この、映画の与える夢に生きる少年という味わいは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(88年)に通じますね。私なんか、共感し過ぎてしまいます。
 

どうして争わねばならないのか

じゃ、北アイルランド紛争はどこかにいっちゃったのか? いえいえ、この映画、主人公のバディという少年の視点から紛争をちゃんと描き出しています。プロテスタントとカトリックはどうして争わなければならないのか、バディはわからない。それでいえば私たちだって、どうしてこの争いが必要なのかわかりませんが、この後に紛争がもっとひどく、もっと長く続くことは知っているわけですね。少年の楽園は失われることがわかっているからこそ、この人生の季節が美しく、かけがえのないものに見えてくる。大人にならなくちゃいけない少年と、楽園を失った家族と、平和を失ったベルファストの町への思いが重なり合ってきます。上手な上に胸を打つ映画です。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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