「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.13
毎日映コンの軌跡⑯ 定着したファン賞 大賞と一致は9回だけ
映画は時代につれて変わり、毎日映画コンクールも映画に合わせて賞を用意してきた。中でも5年の短命に終わったのが、色彩技術賞だ。第9回(1954年度)で初めて、大映「千姫」の杉山公平撮影監督ら技術関係者に贈られ、第13回を最後に廃止された。
日本初の国産カラー映画は、51年の松竹「カルメン故郷に帰る」だった。53年公開の大映の「地獄門」が仏カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、日本映画のカラー化が本格的に始まった。だが、この頃はフィルム会社によって発色の質が違い、大映が採用したイーストマン・コダック社が群を抜いていた。第13回までの5回のうち、4回を大映技術陣が占めている。この間カラー映画は、54年の5本から58年には160本に急増。同年に松竹が富士フイルムで撮った「楢山節考(ならやまぶしこう)」が成功し、賞も使命を終えた。
後発ながらすっかり定着したのはファン賞だ。評論家らの目で選ぶ日本映画大賞と異なり、映画ファンの投票で決まる。実は第1回でも大衆賞があった。候補3作を全国8カ所で上映し、観客が投票。選考委員によるコンクール賞と同じ「或(あ)る夜の殿様」が選ばれている。第2回から姿を消し、第31回で復活。事前に決めた参加作品から郵便投票を募った。この年、同じ作品を候補にした日本映画大賞は「不毛地帯」、ファン賞は「犬神家の一族」だった。第38回からは年間公開全作品が対象となり、第44回で外国映画ファン賞も加わった。第60回からTSUTAYA映画ファン賞と改称、インターネットでの投票を募っている。
第31回以来、ファン賞と大賞が一致したのは、9回だけ。第56回の「千と千尋(ちひろ)の神隠し」が最後だ。
◇ファン賞と大賞が一致した9作品
35回 影武者
37回 蒲田行進曲
42回 マルサの女
46回 息子
47回 シコふんじゃった。
51回 Shall we ダンス?
52回 もののけ姫
54回 鉄道員(ぽっぽや)
56回 千と千尋の神隠し