「スペンサー ダイアナの決意」© 2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED

「スペンサー ダイアナの決意」© 2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED

2022.10.03

英王室に人生を壊された女性 クリスマスの決断 「スペンサー ダイアナの決意」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

実在の人物を取り上げた映画がたくさん公開されています。マリリン・モンローを題材とする小説を映画化した「ブロンド」(ネットフリックス独占配信)、キュリー夫人が主人公の「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」、そしてチャールズ皇太子(当時)と結婚し、離婚したダイアナ妃がモデルの「スペンサー ダイアナの決意」、これだけでもう3本ですね。
 


 

実在の女性モデルの作品が続々

どの映画も事実に忠実な伝記映画ではなく、誰でも知っている人をモデルにしながらつくり手のイメージを投影したフィクションです。そして3本とも、主人公は女性。マリリン・モンローはアナ・デ・アルマス、キュリー夫人はロザムンド・パイク、ダイアナはクリステン・スチュワート、作品に恵まれなかった俳優が力を発揮する機会です。
 
一番期待していた「ブロンド」は期待外れでした。これはもう意外でして、原作を書いたジョイス・キャロル・オーツはアメリカを代表する作家のひとり、アナ・デ・アルマスは「ブレードランナー 2049」では人間よりも人間らしく、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」もこの人が出る場面だけは楽しめた。そして「ブロンド」でのアナ・デ・アルマスは、確かにいいんです。この映画のモンローはいつも怖がってばかりなんですが、その怖がる表情が多彩なうえにナチュラルなんですね。演技に幅があるのでどんな球を投げられても打ち返すことができそうです。
 
フィクションという仕立てですからマリリン・モンローと呼ばれていないんですが、誰でも知ってるモンローの映画の場面がいくつも出てきますから、これはマリリン・モンローの映画だと言っていいでしょう。でも、この映画のモンローは最初から最後まで被害者として描かれている。お母さんはまだ少女のモンローを殺そうとするし、プロデューサーは当たり前のことのように性的に暴行し、ジョー・ディマジオとしか思えない夫は粗暴、次の夫の、これもアーサー・ミラーとしか思えない人はモンローを利用することしか考えていない。


「ブロンド」2022©netflix Netflixで独占配信中
 

主体になれないモンロー=被害者

ケネディ大統領にまで性的暴力を加えられ、誰からもひどい目にあわされるんですね。ただ、最初から最後まで加害される客体ではあっても、自分の考えや希望を持った主体ではない。そこにセクシストな印象を免れません。「お熱いのがお好き」をはじめとした作品によってマリリン・モンローが達成した表現に対するリスペクトも感じられません。残念でした。
 

説明過剰のキュリー夫人

「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」は実在のキュリー夫人の足跡をたどる作品。監督のマルジャン・サトラピはイラン革命のもたらした悲劇をアニメで描いた「ペルセポリス」が絶品でしたし、主演のロザムンド・パイクは「ゴーン・ガール」を見応えのある作品にした人。だからワクワクして見たんですが、ううん、説明が多すぎるんです。
 
キュリーが何をしているのか、どんな意味があるのかを言葉で説明するので、何だか紙芝居でも見てるよう。ロザムンド・パイクはさすがの演技ですし、女性であることに対する差別や偏見に立ち向かって研究する姿はいいんですが、放射能の研究がどんな影響をもたらすのか、その憂慮からエノラ・ゲイと広島の原爆投下にまでジャンプするところになると、画面のつなぎが乱暴なので見てる方が心配になってしまいます。これもまた主演女優がすばらしいのに、残念な作品でした。


「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」© 2019 STUDIOCANAL S.A.S AND AMAZON CONTENT SERVICES LLC 10月14日公開
 
で、3本の中で、私のお勧めは、「スペンサー ダイアナの決意」です。王室にもダイアナ妃にも興味がないので見るのを最後に回したんですが、いやいや、よくできた映画でした。
 

皇太子妃が王族クリスマスの宴席に大遅刻

舞台はノーフォークのお屋敷。女王、皇太子、そして王族の皆さんが集まり、クリスマスイブから3日間、伝統的なお祝いをするところ。まるで機密文書でも運び込むかのように、軍人なのでしょうか、制服を着た人たちが宴席の食材を運び込むと、お料理を作るチームが一斉に作業にかかる。笑いをこらえるのが難しいくらい荘重で、重々しいんですが、画面が変わるとポルシェを運転するひとりの女性。ダイアナです。
 
お付きの人もなくひとりで運転して、道に迷い、あ、ここ知ってるというところを見つけて、目的のお屋敷に向かって歩き始める。そんなことすれば大遅刻は確実、女王や皇太子はもちろんのこと数多くの皆さんを待たせるだけなんですが、ダイアナは宴席に出たくなくてしょうがない。断固として遅刻するダイアナが思いがけないサスペンスを生み出します。
 
やっとのことでお屋敷についてもドレスに着替えをしたくない。着替えするときには窓のカーテンを開いたので、そんなことをするとパパラッチに写真を撮られるなんて注意まで受けてしまいます。宴席についても食べたくなくて、首のネックレスを引きちぎり、スープのお皿に入ったパールと一緒に無理に飲み込んでしまう。え、そんなことほんとにやったのなんて場面ですが、次の場面ではネックレスつけてますから本人の妄想なんでしょう。この後もダイアナは、そんなことしたら大変だということばかり繰り返します。


「スペンサー ダイアナの決意」
 

突き放した描写「シャイニング」のよう

これはダイアナのファンが心情同化して作った映画じゃありません。描かれるダイアナは精神的に限界状況にありますが、映画表現は、ちょっとスタンリー・キューブリックの「シャイニング」のように、ダイアナを突き放して描いている。それはダイアナを中傷誹謗(ひぼう)したいからではない。映画表現の対象がダイアナではなく、ダイアナを限界状況に追い込んだ王室という制度だからでしょう。
 
監督のパブロ・ララインは「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」でケネディ大統領暗殺直後のジャクリーン・ケネディを映画で描いた人。ダイアナを演じるクリステン・スチュワートは演技の幅が広いという俳優ではありませんし、アナ・デ・アルマスやロザムンド・パイクとは同列に並ぶ人じゃありませんが、この映画、そこを逆手に取るように、最初から最後まで同じキャラクターのまま。限界状況に追い込まれたダイアナの表現に終始しています。
 
クリスマスのお祝いという限られた時間と空間に絞り込み、台詞(せりふ)によって過剰な説明を加えることもなく、皇太子と結婚することで自分を壊してしまった女性が浮かび上がる。イギリス王室に興味のない方にもお勧めできる作品です。
 
「スペンサー ダイアナの決意」は10月14日、全国公開。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。