誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.10.03
新時代の戦場体験へ 録音技師が〝聴いた〟「シビル・ウォー アメリカ最後の日」前編
録音技師の根本飛鳥と申します。10月4日より、「シビル・ウォー アメリカ最後の日」が公開されます。「エクス・マキナ」「MEN 同じ顔の男たち」のアレックス・ガーランド監督、「ムーンライト」や「ミッドサマー」「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」で知られる映画会社A24の新作であり、アメリカでもし内戦が起こったら?を描く戦争映画です。私は一足先に東京・丸の内Dolby Cinemaでのジャパンプレミアで拝見する機会をいただき鑑賞しましたが、それはそれは筆舌に尽くし難い、想像を絶する映画音響体験でした。公開を記念し、今作を最大限楽しむための、音響面からの見どころ(聴きどころ)を2回に分けて解説させていただきます。前編では、「地獄の黙示録」から「1917 命をかけた伝令」まで、近年の戦争映画を例にその表現と音響演出の変遷をひもといてみます。
時代切り裂く轟音(ごうおん)を鼓膜に刻め
映画史を振り返ってみると、戦争映画というジャンルは常に音響を中心に映画表現を更新してきた。それは「戦場」という特異な空間をいかに劇場で再現するかという、音響技術者たちの挑戦の歴史でもあるだろう。
今では一般的になっている、サラウンド音響の草分けともいえる5.1chを世界で初めて採用したのは、1979年にフランシス・フォード・コッポラが監督した「地獄の黙示録」である。ここから右後ろ、左後ろのリアスピーカーが登場し、「ゴッドファーザー」シリーズなども担当する音響技師ウォルター・マーチが作り出す世界に立体感が増した。低域の表現を担うサブウーファーを劇場用に普及させた素地は、77年の「未知との遭遇」及び「スター・ウォーズ」での70mm DolbyStereoにおいて、250Hz(ヘルツ)以下を二つのサブウーファーに送った「Baby Boom」と呼ばれるシステムにあったと考えられる。
その約10年後の87年に、スタンリー・キューブリック監督は「フルメタル・ジャケット」という革新的な戦争映画を生み出した。キューブリックは劇場音響設備や構造が多様化したことによる上映品質のバラつきを危惧し、シンプルなフォーマット(ほとんどの作品がフレームサイズはスタンダード、音声はモノラルかステレオ)で作品を作り続けた作家であった。
映画史を変えた「プライベート・ライアン」
上映品質のバラつきを抑えるための、ダビングステージ(作品製作の最後の音響調整時に使う、映画館と同等の環境を有する音響調整スタジオ)と映画館音響の規格化の歴史は非常に古く、72年からISO (International Organization for Standardization、国際標準化機構)で協議されてきた。77年に成立したISO2969(アメリカではSMPTE ST202)と呼ばれる国際規格のリファインを意図し、83年に当時ルーカスフィルムの音響部門にいたトムリンソン・ホルマンが提唱したのがTHXである。劇場設備や環境による表現のバラつきと音響技術者たちの戦いは、今日も続いている。そのため各社が品質を担保するために、IMAXやDolbycinemaなど劇場構造や設備の規定を設けた独自のシステムで、唯一無二の劇場体験を提供しようとしているのだ。
「フルメタル・ジャケット」の約10年後となる98年には、スティーブン・スピルバーグ監督が「プライベート・ライアン」を製作。「戦争映画の表現は今作以前と以後に定義できる」と評論家たちに語らせるほど革命的な一作であり、本物の戦場に肉薄した体験を観客に与える強烈な映像演出を生み出した。
音響製作における技術的な側面においても、テープメディア主体のアナログ製作からProtools(現在では映像音響製作の主体となっている、業界で最も使用率の高い音声編集ソフト)主体のデジタル製作への移行が業界的に成熟してきたのが2000年前後のこの頃である。製作工程のデジタル移行が作業量やその精度、ダイナミックレンジ(小さな音と大きな音の差)の表現に決定的な変化をもたらしたといえるだろう。
「銃撃」徹底して描くスピルバーグ
また、演出面において「プライベート・ライアン」で革新的だったのは、撮影監督ヤヌス・カミンスキーによる、レンズ前のフィルターを排除しシャッター開角度を閉めた非常に写実的な映像に負けない、説得力を持った恐怖のリアル戦場音響が作られたことだ。水面で上下するカメラに合わせ、実際に水中に潜ったり水面に顔を出したりした時のようなシャッター感のある音響構成や、耳元の空間を切り裂いていくMG42機関銃の7.92ミリ弾、近距離の爆発により一時的に聴覚が奪われる表現など、手を替え品を替え徹底的に作り込まれている。筆者が昔読んだスピルバーグのインタビュー記事に「機関銃の音が単調にならないように、機関銃の音のリズムを作り込むチームがいた」と書かれており、そのこだわりに驚愕(きょうがく)したのを覚えている。
スピルバーグは私が知りうる限り、世界でもトップクラスで「銃撃」という表現に真面目に取り組んでいる監督の一人だ。人体や物体にどの角度から、どの距離感で発射された何ミリの弾が貫通するとどのような損傷を負う、という表現を徹底して描いている。そのこだわりが如実に現れたのが「プライベート・ライアン」である。
アクションからリアリズムへ
このあたりから、戦争映画はフィクション性よりもリアリズムを重視し、ドキュメンタリズムと時間軸に重きをおいた作品が続々と生み出されてゆく。
01年のリドリー・スコット監督作品「ブラックホーク・ダウン」では、上映時間のほとんどが市街戦に投入された兵士たちの目線で描かれた。まるでスピルバーグからバトンを受け取ったかのような、手持ちカメラによる徹底的な兵士目線のリアルな戦場体験は、公開当時中学生だった私の記憶と鼓膜に強く刻まれた。音の距離感という観点では、11年の韓国映画「高地戦」(チャン・フン監督)も素晴らしかった。作中に非常に印象的な存在として描かれている、敵軍の「2秒」と呼ばれるスナイパーの表現だ。射撃距離が非常に遠いので先に弾頭が着弾して、その2秒後に秒速340メートルのスピードで到達した銃声が聴こえてくる、という非常にニッチなスナイパー表現がされており、戦争映画好きをうならせた。余談だが、この「2秒」のキャラクターも、前述したキューブリックの傑作戦争映画「フルメタル・ジャケット」からの非常に強い影響が見られる。
個人的には13年のピーター・バーグ監督作品「ローン・サバイバー」も捨てがたい。アフガニスタンに潜入したネービーシールズ4人vsタリバン兵100人の、史実に基づいた絶望的な戦いを描いた作品だ。峡谷で追い詰められていく主人公たちは逃げる手段として崖からの滑落を選択するのだが、この崖を落ちている時の音がフィクションとリアリズムの絶妙なあんばいで構成されており、とにかく痛々しい。アフガニスタンの美しい峡谷とそこで命を落としていくキャラクターたちの残酷な対比が、素晴らしかった。
戦場の兵士と同じ時間を体験
時間軸という観点からは、顕著にその傾向が出た作品が「ダンケルク」(17年、クリストファー・ノーラン監督)と、「1917 命をかけた伝令」(19年、サム・メンデス監督)である。「ダンケルク」ではIMAX環境を最大限に使った超立体的な戦場表現にとどまらず、「シェパード・トーン」と呼ばれる時計の秒針のような速い一定のリズムで刻まれる音を音楽や環境音に常に忍び込ませることで、物語の中で追い詰められていくキャラクターたちの心情を見事に音響で表現した。
また、空間と時間の親和性について深く言及したのは「1917 命をかけた伝令」である。撮影監督ロジャー・ディーキンスの超絶技巧による尋常ならざる複雑なロングテークの集合体として完成したこの異形の傑作は、第一次世界大戦下のイギリス兵の1日をほぼリアルタイムで描き切るという、「リアルタイム型戦場没入体験」を観客にたたきつけた。
上空を通過する戦闘機、砲弾
映画音響史的には、10~12年に7.1chやDolby Atmosという音響システムが登場し、従来では劇場に存在しなかった観客の上にスピーカーをつった「縦軸の音響表現」を可能とし、上空を通過する戦闘機や砲弾の圧倒的な定位感が、観客の劇場体験をまた一段上のレベルへとアップグレードさせた。16年に公開された「ハクソー・リッジ」(メル・ギブソン監督)は、この定位感という観点で非常に優れた作品で、ブルーレイ版に収録されているDTX Headphone:X音響版は、自宅にサラウンド環境が無くても、ヘッドホンさえあれば壮絶な戦場を体験できるように作り込まれている。
ここまで近年の戦争映画を、音響とその表現の側面から回顧してきた。その系譜にある「シビル・ウォー アメリカ最後の日」はここで紹介した戦争映画表現を全て詰め込み、ネクストレベルヘと昇華させたことを高らかに宣言するかのような、極上/極悪な音響設計である。後編ではその見どころ(聴きどころ)を詳しく解説していこう。