誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2023.10.03
「ABYSS アビス」 〜映画に描かれる四つの深淵〜
今回は現在公開中の須藤蓮監督主演映画「ABYSS」。ABYSSとは訳すと深淵(しんえん)、そして混沌(こんとん)の意味を持つ。この作品ではまさに深淵を思わせる表現やストーリーが展開される。映画から感じた「四つの深層」からこの映画を読み解いていきたい。
須藤監督演じるケイは劇中で東京の夜の世界で働き生活する青年だ。物語は彼の兄ユウタが原因不明の死を迎えたことから始まる。地元で行われた兄の葬儀。ケイは葬式の場で友人に苦言を吐くほどユウタを憎んでいた。前妻の子であるユウタは幼少の頃父からの暴力を受けていた。その暴力は伝染し、ケイもユウタから暴力を受ける側であったのだ。「死んでせいせいした」とつげるケイの前にユウタと同棲(どうせい)していたという女性ルミが現れる。彼女は憎悪している兄の死に涙していた。そんな姿を見て理解できないケイ、彼はルミに接触を図った。
1.ケイの過去…彼の人生とも言える深淵
彼女は自分の知らない兄の姿を知っているように話し、兄を慕っていた。そんな彼女も東京の夜の街でショーダンサーとして働いていることを知り、つながりを持つようになるのだった。ケイは家族に対しての嫌悪感が強く、自分の行動、働く場所、金、あらゆる面で家族という縛りに悩まされていた。これが彼にとって一つ目の深淵だ。見ていく中で最も彼のネックな部分であり、これまで彼の人生の基盤になっていた出来事なのだと感じた。このことから彼は死んだ兄と実母を苦しめていた父を恨んでいた。暴力を振るっていた兄も恨んではいたが、事の発端は父が再婚を機に前妻の子である悠太に厳しく当たっていたことにあった。
ケイの家族のような環境は実際に世の中にも存在する。離婚、DV、そしてモラルハラスメントなど近年このような問題を耳にすることは多くなり、当たり前のように映像作品でも多く取り上げられる。これは一家族だけの問題ではなく地方自治体や国としての問題になってきている証拠だと感じた。だがこれはおこなっている当人の身勝手さであり、被害に遭うのはその子供が大多数だ。親の影響で子供の素行不良や犯罪につながったケースも多い。まさにケイの思考や感情は生まれた環境から培われてしまったものだと感じた。
2.兄の元恋人ルミとの出会い、恋の深淵
ルミは不思議な空気をまとう女性だ。妖艶な雰囲気とは別にケイを引きつける何かを感じさせた。ケイは少しずつルミに対して魅力的だと思う感情を抱いていった。だが彼女は兄ユウタと関係を持っていた女性。初めは自分の兄への恨みと彼女の気持ちでは理解し合えなかった。だが、彼女の時折見せる純粋な行動、そして同じ生い立ちを知りケイはルミに好意を寄せる。それは今までのように彼が繰り返してきた一夜限りの関係ではなくケイの純粋な気持ちであった。彼にとってこのルミとの関係がまた一つの深淵となっていくのだ。
作中でのこの2人の関係はそれぞれの生きる世界や過去も忘れさせるほど、純粋な場面が多い。東京で再会した2人が早朝、公園でカラスに餌を与えるシーン。その数時間前まではお互い夜の世界にいた2人と朝の公園で餌をやる2人とのギャップがこの関係の純粋さをひきたたせていた。そして何よりルミの言動や、性格がケイの中にある負の記憶や感情を温かい物に変えていったことが映像の空気にも伝わっていた。恋愛=深淵といった表現は他の作品でもよく用いられることではあるが、2人の関係から垣間見える「純粋さ」が更にこの恋愛関係を深く抜け出せないもののように見せていたのではないだろうか。このように2人の生きる世界と2人の関係が良いギャップのバランスとなり、見ていて美しい作品に感じた。
3.作品背景からうかがえる、夜の深淵。そこで生きる者たち
もちろんだがケイとルミだけではなく、彼らの周りには同じ夜の世界に生きる登場人物が存在する。まずはケイの働くバーの先輩タクマ。彼は自分への裏切り行為などは許さない。そしてケイの元同僚タカハシ。タクマの元にいた人間だが、金を盗んでタクマの元を離れていた。作中ではそんな裏切り者であるタカハシと関係を続けるケイに対しタクマが暴力を振るうシーンがある。こういった金銭のトラブルや暴力描写がケイの生きる世界を物語っていた。ケイが夜の世界で働き出したのは兄のユウタがこの店で働いていたことからである。
その理由は明かされていないが、これはケイの兄への当てつけからなのではないだろうか。タクマに傷つけられた姿に同僚からなぜ夜職は辞めないのか問われる。自分自身でこの世界に向いていないことには気づいているが抜け出すことができない。ケイの中で夜の世界で生きることが初めは兄への当てつけだったが気付けば抜け出せない新たな深淵となっていたのではないかと思えた。魅力的な世界や人間関係、現実逃避にはうってつけの環境であるこの世界はケイの中で自分の居場所になっていたのだ。ルミも同じだ。彼女もこの世界にはそぐわない純粋さを持つ女性。育った環境、夜職を行うことでしか生きていけない世界。今、現実世界で実際に存在する不毛な世の中をこの作品の背景からうかがえた。
4.兄の通った道、夜の海と死の深淵
この映画はセリフから始まった、「夜の海と目が合えば引きずり込まれて死ぬ」。これは幼少の頃ユウタとケイが聞かされた言葉だ。この言葉は劇中で何度も使用されこの作品のホラー要素とは異なった何か不気味な雰囲気を感じさせた。そしてこの言葉を一番信じていたのが不審死を遂げたユウタだ。ケイの言う横暴な性格のユウタからは想像できないほど、彼はこの言葉を信じ込んでいたとルミは告げる。この時ユウタの子供じみた人間らしさに兄を憎んでいたはずのケイも笑ったのだ。
ケイとルミは今度夜の海を見にいくことを約束する。この言葉は不毛な世界に生きる2人を言葉通り「死」に引きずり込もうとするのではないか。そんな事を観客に思わせた。終盤、ケイとルミは現実から逃げるため東京を離れる。向かった先は物語の始まりとなった場所。ユウタとケイが育った町だ。彼女は仕事も全て投げ出し、ケイに一緒に逃げる事を願った。
そして夜の海を見るため、2人が出会った地元へ。逃げるために向かった場所と夜の海を見るために行きたいと望んだ目的が「死」を意味するように感じさせた。ケイと悠太が育った海を見て、ルミは「ユウタはここから死んだんだね」と告げる。この場所が兄のユウタにとっても純粋でいられる場所、心開ける場所であり、彼がすがろうとした場所なのだと感じた。この場所にすがりすぎた結果、ユウタは「死」に引きずり込まれてしまったのだ。誰も戻ってくることはできない死の深淵に。
2人の行く末、ABYSSとは
この作品を見て、この世の中のリアルを感じた。皆が1人で、この世の中を生きている。その中で自分を素直に委ねられる相手、すがろうとする場所、自分にとって生きやすい環境などを見つけ、そこに溺れていく。まさにABYSS、深淵と表現されるのにふさわしい内容だと感じた。そしてこの題材を表現するためにさまざまな手法がこの作中では使われていた。音、色彩、特に終盤の水中のシーンは美しく感じた。
ケイとルミがどのような結末を迎えるのかぜひ劇場で見ていただきたい。そしてこの作品の表現する深淵に溺れてみてください。