「シネマスコーレを解剖する。コロナなんかぶっ飛ばせ」

「シネマスコーレを解剖する。コロナなんかぶっ飛ばせ」

2022.7.08

ミニシアターは死なず:映画のミカタ

毎日新聞のベテラン映画記者が、映画にまつわるあれこれを考えます。

木全(きまた)純治さん(73)は、名古屋市にあるミニシアター「シネマスコーレ」の名物支配人として、映画界ではつとに知られている。1983年に若松孝二監督が作った座席数51の映画館。邦画インディペンデント作品を熱烈に応援している。日本では毎年、日本映画だけで600本もの新作が公開され、スクリーンは取り合いだ。木全さんは若い監督の守護神、シネマスコーレは聖地といったところか。

その映画館が、映画になった。ドキュメンタリー「シネマスコーレを解剖する。コロナなんかぶっ飛ばせ」(菅原竜太監督)である。地元のテレビ局「メ~テレ」で放送した番組に大幅な追加取材分を加え、コロナ禍で苦しみながら奮闘する木全さんらの姿を記録した。

シネマスコーレは次々と災難に見舞われる。感染拡大で客足が減り、ついに観客ゼロの日が出た。休館に追い込まれ、映写機まで故障。映画館を支える副支配人は退職を表明する。しかし映画の中の木全さんは、常にパワフルだ。

上映続行のための策を練り、休業期間中に自ら映画館を改修。感染経路をたどるため観客に連絡先を記載する動きが出ると猛反発する。開館からの歴史もひもとく。林海象が自主製作した「夢みるように眠りたい」、崔洋一の「月はどっちに出ている」など出世作をいち早く上映。入江悠監督は「SRサイタマノラッパー」の上映前に名古屋入りし、自らチラシを配って集客したと明かす。いわく「日本で一番熱い映画館」。

木全さん、「上京するので話を聞いてくれ」と、毎日新聞を訪ねてくれた。コロナ禍の苦境を聞くと、2019年と比べた観客数は、20年75%、21年70%。昨年までは深田晃司監督らが始めたクラウドファンディングの分配金や公的助成などでしのいだが「まさか3年も続くとは」。今年は正念場、夏の動員が戻らないと危ういという。

しかし「もっと大変だった時もある」とへこたれない。「修羅場でした」という08年のリーマン・ショックだ。観客が激減し、若松に「このままではつぶれる。借金を背負うか経営を任せるか」と迫り、社長に就任。経理を整え家賃値下げ交渉をし、経費を3分の2に圧縮。自らは月給10万円という時期もあったとか。借金を返済して経営を軌道に乗せた。

コロナ禍で動画配信サービスが急伸し、高齢層の客足が遠のいた。それでもシネマスコーレは若者層に客層をシフトし、監督や俳優の舞台あいさつや参加型上映で付加価値を作ってきた。「映画館は、映画を見るだけじゃない。人がつながれる場所。それがリアル上映のいいところだし、存在意義になる」。副支配人も戻り、反撃態勢は万全だ。ミニシアターは負けないのだ。「シネマスコーレを解剖する。」は東京・新宿K's cinemaで公開中。順次全国でも。