国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2023.8.07
〝NEO行定勲〟に刮目せよ! 骨太エンターテインメント「リボルバー・リリー」
「ある冬の夜、サンタクロースの格好をした男が一軒家の煙突に入るシーンがあるとしましょう。普通のファミリー映画では暖炉にクリスマスツリーが置かれている居心地の良いリビングのシーンが続くでしょうが、スリラーなら続くシーンで男の顔にマスクがかかっていて、手にはピストルを持っているはずです。スーパーヒーロームービーなら、超能力を発揮して人質になっていた家族を救出するかもしれませんね。ここで私の質問は、『行定勲がこの場面をどのように演出するか』ということです」
2018年8月3日に東京大学医学部付属病院で行定勲に聞いた。金奉奭(キムㆍボンソク)プログラマーのプログラムアドバイザーとしてプチョン国際ファンタスティック映画祭(以下BIFAN)で働き、日本に帰ってきたあと。今でも連載が続いている、筆者の日本映画人インタビューで、彼は答えた。
「私なら煙突から入ったサンタクロースとその家に住んでいた女との間に愛が芽生える物語を作りたいです。彼女は配偶者から虐待され、子供はいるが愛情のない結婚生活を続けていたのかもしれませんね。また、プレゼントを受け取ることになる子供は、これら全ての真実について把握する中で、母の一人の人間としての幸せを望んでいるかもしれません。このように葛藤する人間像を具現化するのが私の映画世界です」
一生忘れられない場面。数秒で予想外のシナプスを構成する能力にも驚いたが、その他にも二つの重要な気づきを得た。
予測不能な作品たち……〝行定映画〟はジャンルそのもの
ひとつは、「人間は自分の最後の瞬間を考えると真実になる」ということ。彼は原因不明の膝の痛みでさまざまな検査を受け、症状の原因になりうる疾患の中にはがんもあった。後に大した問題ではないと判明したが、命の脅威を感じると言ってもおかしくなかった当時、彼は自身の映画世界に対する言及と共に「持っている企画をできるだけ多く、早く実現させたい」と話してくれた。
もうひとつ。あの日は彼の50歳の誕生日で、インタビューの内容はデビュー以来18年間の彼のフィルモグラフィーを振り返りながら「映像作家 行定勲」を語るためだった。ここで筆者が下した結論は、「恋愛映画の巨匠」という名は彼を説明するには足りないということだった。恋愛映画を作ってきたのは歴史的な興行記録を出し、オファーが殺到したために過ぎない。しかし、例えば韓国で「世界の中心で、愛をさけぶ」に匹敵する反響を呼んだ「GO」や筆者がアメリカの友人たちに日本版「風と共に去りぬ」と紹介する「北の零年」は、時代と人間の問題を扱うことで観客の世界観にまで影響を及ぼすメッセージを持った作品である。
またそのインタビュー以降、日常的に交流しながら数え切れない対話を交わすようになった立場で告白すると……。行定勲は謙虚な人柄のため人前ではあまり話さないが、ギリシャ悲劇と叙事詩について扱うアリストテレスの「詩学」という、欧米フィルムスクールの必読書を何冊もの他の訳者の翻訳本を読みながら単語のニュアンスのひとつひとつを分析し、意味を吟味するほどの恐ろしい努力家で読書家なのだ。その上、法学部生が司法試験を準備するようにあらゆるジャンルの、普通の人が想像もできない本数の映画を分析しながら「クリエーターのキャビネット」を埋め尽くしている。観客の皆様はこのような彼が時代の流れを眺めながら見つけた題材に、クリエーターのキャビネットから取り出した美学的リファレンスを添えて構成した話を見てきただけで、まだ生まれていない彼の数多くの作品は予想さえできずにいる。結局、彼にふさわしい名は「恋愛映画の巨匠」より「ジャンルをまたぐ巨匠」であろう。
一作入魂! 現場で体感した「リボルバー・リリー」の狂熱
そして筆者は昨年3月、コロナ禍によって2年ぶりの再会となった彼が「大衆が覚えている私のフィルモグラフィーとは少し違う、アクション映画を準備している」と話してくれた時も、ただ楽しみだった。いや、違う。正確には見たくて仕方がない気持ちになり、同年7月、PCR検査まで受けながら差し入れを持って「リボルバーㆍリリー」の撮影が行われていた東映東京撮影所を訪れた。そしてそこで、BIFAN正式出品作の「孤狼の血 LEVEL2」でコロナ禍のただっ只中にもかかわらず上映館の座席を完売させ、日本映画の力を見せた映画魂のプロデューサー・高橋大典が制作に参加することを知り、改めて作品の成功を確信した。
それだけではない。冷房装置が稼働しているのにもかかわらず、真夏の外以上に熱くなる熱気に胸がいっぱいになる感動まで満喫した。自分が出演した国際映画祭の受賞作や話題作について「自分ではなく、製作に参加された他の皆様の力で成果を収めたものなので、自分の主演作として紹介できない」と口癖のように言う筆者の親友・長谷川博己の熱演を確認し、鎧(よろい)に兜(かぶと)をかぶったほどの暑さを感じさせる衣装やヘアメークでも一切大変な表情をすることなく、より完璧なショットを見つけ出そうとする監督の頼みに従って同じ動作を数え切れないほど繰り返していた綾瀬はるかに出会った。一本の作品に命をかけたキャストやスタッフの努力が炸裂していた驚異の一日。
知られざる一面を見た気分!? だから行定勲はやめられない
そして試写会。上映館の電気が消えるその瞬間から、エンディングクレジットが上がるまで座席に不動姿勢で固定されている筆者がいた。
驚いた。「行定勲のアクション映画だからとにかく違うだろう」とある程度予想はしていたが、結果が新しさそのものだった。一口だけでさまざまなハーブやナッツ、果物の香りが漂うプレミアムワインのように、スペクタクルがメインとなるアクション映画としての固定観念を超える映画体験。「リボルバーㆍリリー」が特に思い出させる作品は、コーエン兄弟の「ミラーズㆍクロッシング」だ。フランシスㆍフォードㆍコッポラの「ゴッドファーザー」とジャン=ピエールㆍメルビルの「いぬ」をオマージュし、黒澤明の「用心棒」の影響を受けたことでも有名なこの作品は、コーエン兄弟がカンヌ国際映画祭の最も愛する監督になる予告の前奏曲だった。周知すべき点は「リボルバーㆍリリー」がこのコーエン兄弟の代表作を連想させるほどのエネルギーを発散し、創造的破壊を繰り返しジャンルの新しいスタイルや文法を開拓する作品だということ。アクション映画としての面白さをあふれるほど持っていながらも、従来の作品では見られなかった「平和の切願」というテーマ、想像の虚をつくアクションを駆使する女性主人公のストーリーテリングという内容、英米ミュージカル映画に日本の時代劇の美徳を融合させたスタイルなどから、ノワールというジャンルに「ポスト」、「ネオ」などの修辞をつけたコーエン兄弟に匹敵する映画的成就を見せている。さらに目立つのは、この全ての満足の要素を劇場主義者である行定勲の持論どおり「オンリーㆍインㆍシネマズ」のシステムに最適化したという事実なのだ。
ふと思う。これから行定勲もコーエン兄弟のように「リボルバーㆍリリー」を通じて、第2の全盛期を迎えることになるのか。いや、この部分だけは違いがある。観客の皆様の判断をお手伝いするために、映画を見た直後に彼に送ったメッセージをそのまま書き写す。
「行定勲シーズン2、スタート」。未来はもうすでに始まっている。