井上真央=小出洋平撮影

井上真央=小出洋平撮影

2022.11.08

インタビュー:井上真央「監督とは毎日ミニバトルでした」(笑い) 「わたしのお母さん」

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勝田友巳

勝田友巳

井上真央は、「演じることは生活の一部」と言う。子役から長いキャリアを重ね、作品を選びながら丁寧に役に取り組んでいる。主演した「わたしのお母さん」ではセリフも動きもそぎ落とした演技で、一人の女性の複雑な葛藤を描ききった。撮影の日々を「監督と毎日小さなバトルでした」と笑いながら振り返った。
 

 

「夕子を救ってほしい」監督からの手紙に誘われ

難役だった。杉田真一監督から、オリジナルの脚本と出演を依頼する手紙をもらった。「『夕子を救ってほしい』とあったのが印象的でした。地味だけど、こういう話をじっくりできるのは映画。毒親ではなくて、一人の女性の繊細な部分をゆっくりひもといていく。いい作品になりそうだなと思いました」。しかし役の要請も杉田監督の演出も、手ごわかった。
 
1組の母娘の物語。母親の寛子は一人で3人の子どもを育て、誰とでも友だちになる明るい性格だが、長女の夕子は感情をのみ込んで顔に出さない。寛子がボヤを出したことで、長男夫婦と同居していた実家から追い出され、夕子夫婦のマンションに身を寄せる。対照的な母娘が一緒に暮らす中で生じる、微妙で複雑な軋轢(あつれき)と関係を描く。
 
母親は石田えり、夕子を井上真央という配役だ。日常の淡々とした光景がほとんどで、劇的場面は見当たらない。物語は夕子の視点から語られるものの、夕子は無口でセリフは極端に少ない。しかし画面にはほぼ出ずっぱり。
 

「わたしのお母さん」©2022「わたしのお母さん」製作委員会

そぎ落としたセリフと動き

「脚本では母親と夕子の過去とか、気持ちやその変化がはっきりしなくて、自分で埋めていかなければいけなかった。監督とは、物語を追うより夕子という人物を、一緒に見つけていけたらいいねとお話ししました」
 
元々少ない動きやセリフは、撮影現場でさらにそぎ落とされた。杉田監督、石田とともに微調整をしながら表現を手探りしていった。「大きな感情が描かれてるわけではないし、少ないセリフを削って動きも排除した分、ちょっとした仕草が重要になる」
 
夕子がふと視線を外したり、何も言わずにたたずんでいるだけというショットで、感情の揺らぎを表す。「細かいから、監督に『それではこう見える』って言われて、『いや、そういうつもりじゃありません』と。どう見えるかで、小さなバトルは毎日ありました。何回もやってると分からなくなって、テークを重ね表現を模索し、話し合いながらの撮影でした」


 

「疲れちゃったね」 石田えりの明るさに救われて

石田も事情は同じだ。「えりさんも『監督の言ってること分からないね』と。『何回目? 疲れちゃったね』とか声をかけてくれて、その天真らんまんさに、すごく救われました」
 
映画には、日常のささやかな感情のすれ違いや、言葉にならないひだが描かれる。一瞬の名付けがたい気持ちの揺らぎは、いくつもの解釈が可能となった。
 
「2人の関係は、どの目線で見るかで違う。見る人が経験を重ねられると思います」。撮影中から、スタッフの間で反応が分かれたという。「いいお母さんだよねという人もいれば、自分の母を見てるようでつらいという人もいた。お母さんの何が悪いんだ、夕子がすねてるだけのように感じるという人も、もしかしたらいるでしょう」
 
親子関係のゆがみを批判したり、善悪を問うたりする映画ではない。「どちらかが悪いということでもない。夕子は表には出さないものの、感情にウソをつきたくなかったんでしょう。ただもう少し柔軟さがあったり、人に合わせることができたりしたら、生きやすかったのかなと思います」


抑えた気持ちがあふれるラストシーン

圧巻はラストシーンだ。じっと抑えつけてきた夕子の感情が、解放される。「そこまでずっと閉じ込めてきた感情が、ポロッと出るところ。あのシーンは特に、夕子として存在できるという思いはありました」。ほぼ順撮りで進んだ最終日の撮影で、本人もスタッフも思うところがあり、特別の雰囲気が漂っていたという。しかしここも、すんなりとはいかなかった。
 
「監督は感情をワーッと出してもらいたいようだったし、わたしはあまり出し過ぎたくなかった。ここを見せ場にしたくなかったんです。このシーンのために今まで押さえてきたと見られたくなくて、それまでの延長でフッと、自然に出たようにしたかった」。結局、3回テークを重ねた。「1発で、と言いたいところですけどね。監督からは余計なことを考えずに、と言われました」


 

演じることは生活の一部

物心つくかつかないかでテレビに出演し、芸歴は30年⁉ 「あ、小さい頃は換算しないんで」とやんわり訂正。では俳優として進む自覚をしたのは。「こことなかなか、言えないんですよね。子どもの時にもそれなりに思いはあったでしょうし、『蔵』(NHK、1995年)で檀ふみさんと出会って、ステキだな、こういう人になりたいなと憧れたし。でも学生時代は、学業を優先した部分もあった。積み重ねの中で、だんだん生活の一部になってったという感じ」
 
役者魂一筋、というタイプではないようだ。20代前半、NHK連続テレビ小説「おひさま」で主演したころは次々と連続ドラマや映画に出演してきたが、ここ数年は年に1、2本と落ち着いたペース。
 
「小さい時の方が、あれもこれもしたいという気持ちがあった。だんだん自然な流れに任せようと。このままお話が来なかったら、それでもいいかなと思ったことは、何度もありました。10代の、スピードと勢いでいろんなことを経験するのも楽しかったですが、ゆったりとしたペースで準備期間をしっかり持ちながらやってく今が、自分には合っているかな」
 
しかし心配は無用。俳優への意欲は衰えていない。「ゼロから完成するまで、いろんな段階を積み重ねていく作業は楽しいし、長く続けていても毎回発見がある。慣れることがないんです。作品ごとに自分自身と向き合って、こういう一面があったんだなと発見するとか、こういう仕事じゃないとできないですから。年を重ねて出会う役も、やれることも違ってくるでしょう。力を抜いて、自由気ままに楽しめたらいいかな」
 
「わたしのお母さん」は11月11日公開。

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

カメラマン
ひとしねま

小出洋平

毎日新聞映像報道センター写真グループ

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