日本映画界の働き方改革が課題となり〝お手本〟として注目されるのが、韓国とフランス。2023年、カンヌ国際映画祭と並行して開かれる監督週間で短編「ゆ」が上映された平井敦士監督は、フランスを拠点に映画作りを続けている。日本を飛び出して10年、フランスでの映画製作について聞いた。
「ゆ」©️MLD FILMS
好きなフランス映画の現場で働きたい
――出身は富山県ですね。どのような経緯でフランスに?
映画監督を志望してバンタン映画映像学院に進み、在学中に日本の商業映画の撮影現場で、インターンの助監督として働いたんです。3週間ほどの撮影は、怒鳴られながらの体育会系の雰囲気でこき使われて、怖かった。休みはほとんどないし、事務所に泊まったり移動中に仮眠したりで、ちゃんと寝る時間もない。しかも報酬は安い。完成まで見届けましたが、これでは一生やっていけない、こんな現場では嫌だと思ったんです。
それでも映画の仕事をしたい気持ちは変わらず、どうせやるなら好きな映画の多いフランスに行こうと決めました。日本映画の仕事の誘いも続けてありましたが断って、地元のテレビ局でアルバイトをして資金をため、130万円を持って12年にフランスに渡りました。
――フランス語は話せたんですか。
いいえ、全然(笑い)。最初の半年ほどは語学学校に通って、それからパリの映画学校に1年在籍しました。貯金を取り崩し、日本食レストランでアルバイトしながら、業界への足がかりを探しました。
助監督として働く平井敦士さん(中央)=平井さん提供
ダミアン・マニベル監督に師事
――どのようにきっかけをつかんだのでしょう。
当時新進監督だったダミアン・マニベルと知り合ったことがきっかけです。14年に、ダミアンの「パーク」という作品で、撮影現場を1週間ほど見学する機会があったんです。ここで衝撃を受けました。まず脚本がない。その日に撮った分を夜見て、次の日の撮影を決めていく。
現場ではパートの垣根を越えて、全員が協力して撮影を進めていました。助監督と制作部がロケ場所やスケジュールを決めて、という通常のやり方とは全く違っていたんです。それはフランスだから、ではなくダミアン独特のやり方でした。その作品が、カンヌ国際映画祭と並行開催の「ACID」部門で上映される。こんな映画作りがあるんだと驚きました。
――マニベル監督は「イサドラの子どもたち」「泳ぎすぎた夜」(五十嵐耕平と共同監督)など静かに人間を見つめる作品で、多くの国際映画祭で上映されています。
「泳ぎすぎた夜」から、フリーの助監督としてダミアンの作品に付くようになりました。ダミアンの撮影はいつも脚本がなく、撮影の前日にスケジュールを決める。出演者も俳優ではないから、演技ではなく自分を演じている感じです。
ダミアンが突然「あれ準備して」と言い出すこともあって、スタッフとしてはたいへんなこともありますが、楽しいですよ。スタッフもずっと一緒に映画を作っている人ばかりなので、気心が知れて家族のような雰囲気です。作品ごとに再会する感じでしょうか。日本の撮影現場とはまったく違いました。
「フレネルの光」撮影風景=平井敦士さん提供
小規模でも休みと食事はきちんと
――撮影現場の環境は、いかがでしたか。
ダミアンは自主製作に近いような映画作りなので、一般的なフランス映画の製作とは違っていると思います。少人数で、お金をかけずに気軽に撮っていくんです。映画が全ての中心という人で、スタッフも共感し、分かって参加している。みんなで力を合わせて、私も助監督兼制作のような感じで、何でもやりました。
ただ、それでも無理はしません。長時間の撮影になる時もありますが、徹夜はしないし、休む時はきちんと休みます。最低賃金も守られていました。撮影期間は3~4週間で、日本と変わらないと思います。
――食事はいかがですか。日本なら商業映画でも冷たいロケ弁も多いようですが。
温かいものをしっかり取りますよ。さすがフランスだなと思います。ロケ先のレストランに交渉して、ケータリングを手配するなど、気を使っています。
「ゆ」©️MLD FILMS
助成受け製作費調達
――自身も、フランスで短編映画を製作しています。
初めは完全な自主製作で、同居していた韓国人の友人を含め仲間を集めました。日本の自主製作と違わなかったと思います。その後、製作体制を整えて2本の短編を撮りました。
――20年の「フレネルの光」と23年の「ゆ」ですね。「フレネルの光」はフランスから故郷の富山に帰省した主人公が、父親との思い出を振り返るという作品でした。ロカルノ国際映画祭で上映されたほか、ショートショートフィルムフェスティバル&アジアでジャパン部門優秀賞を受賞しました。
「フレネルの光」は、ダミアンに企画と脚本を見せて相談したところ、ダミアンの製作会社が協力してくれることになりました。フランス国立映画映像センター(CNC)の補助金の申請が通り、7万ユーロほどの助成を受けています。
撮影は富山県で、編集や音入れはフランスのスタジオを借りることができました。恵まれた環境だったと思います。
「ゆ」の撮影風景=平井敦士さん提供
短編の評価が実績に
――「ゆ」は監督週間の短編部門で上映されました。やはり富山県が舞台で、主人公が、母親が常連だった銭湯を訪ねるというしみじみとした作品です。どのように製作されたんでしょうか。
「ゆ」は、フランスの短編映画祭の企画コンペで優勝して、賞金をもらいフランスの国営放送での放送も決まりました。自分で富山県の企業から協賛金も集めました。短編映画の製作費としては豊かな方だったと思います。
スタッフは10人くらい、カメラマンはフランスから来てもらいました。撮影期間は10日ほどで、短編の撮影期間としてはぜいたくな日数でした。スタッフに最低限ですが賃金を渡すこともできました。
――2本の短編が評価されたことで、次につながりますね。
そうですね。実績があれば助成金も通りやすいし、企画もスムーズに成立するのではないでしょうか。次は長編を撮ってもいい環境かと思って、企画を練っています。
「ゆ」について語る平井敦士監督=勝田友巳撮影
チャンスはあるが競争も厳しい
――フランスでの映画製作はいかがでしょうか。
チャンスが多く、撮ろうとする人には良い環境ではないでしょうか。CNCのほかにも、地方にもいくつもの助成制度があります。個人と作品と両方が対象となり、製作が決まった作品だけでなく、撮影前のプリプロダクションもバックアップしてくれるなど、きめ細かな制度だと思います。例えば脚本開発への支援では、年に400万円ほどが支給されて創作に集中できるようになっています。
作品を上映する短編映画祭も数が多いし、テレビ局も作品を買ってくれる。上映したり放送されたりすれば、認知される機会も広がる。至れり尽くせりという印象です。ただ競争は激しく、光るものを持っていないと相手にされない、認めてもらえない厳しさも感じます。
――ではこれからも、フランスで映画を作り続けるのですね。
フランスは制度が充実しているし刺激的で、スタッフや評論家のレベルも高い。でも生活は日本がいい。地元が大好きで、銭湯とラーメンも恋しいです。フランスで資金を集めて、日本で撮れれば理想でしょうか。
「ゆ」は7月29日から、富山市のほとり座で上映される。また12月8~21日には、これまでの内外の「監督週間」出品作を集めた「カンヌ監督週間in TOKYO」が開かれ、ここでも上映される予定。