女たち ©「女たち」製作委員会

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2021.6.03

この1本:女たち 今のきしみ、孤独の先

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

邦画も洋画も、女性の現在地を問う作品が次々と公開されている。そのものズバリのタイトルを掲げたこの映画、「おだやかな日常」「ふゆの獣」などの異才、内田伸輝監督が、コロナ禍に「女たち」を描く。

美咲(篠原ゆき子)の人生は散々だ。就職氷河期で望む仕事に就けず、介護する母親美津子(高畑淳子)に口汚く罵倒される。美津子を担当する訪問介護士の直樹(窪塚俊介)との結婚が夢だったのに、彼は妻帯者だった。おまけに心の支えとなっていた親友の養蜂家、香織(倉科カナ)が急死する。

狭く濃密な田舎の人間関係にコロナ禍のいら立ち。美咲は憤りと不満を募らせるもののなすすべがない。内田監督はしかし、彼女を悲劇のヒロインとも逆境に立ち向かう闘士とも描かない。自己憐憫(れんびん)と優柔不断で不幸と不遇を招き入れるようでもあり、被害者とも言い切れない。他の登場人物もとげとげしく、映画は敵意に満ちて救いが乏しい。

内田作品ではしばしば、いびつな人間たちが疎外され、自家中毒的に苦悶(くもん)する。その徹底ぶりは時に不快感を誘うものの、人間性の真実を見せた。本作も、社会の圧力と女同士のあつれきにきしむ美咲らの姿に、男性中心社会への異議申し立てにとどまらない女たちの今が描かれるはずだった。

はずだった、というのはこの映画、内田作品にしては何やら手ぬるいのだ。きれい事でない人間の孤独と断絶は、そこここにある。女優陣の演技も真に迫る。しかし怪物的な美津子との確執がリアルな一方で、美しさが強調される香織は現実感に乏しいなど不均衡で、急転直下の大団円はとってつけたようだ。

男目線の限界なのか、脚本や演出にさまざまな手が加わったらしい結果なのか。ザラザラした手触りが生々しいだけに、隔靴搔痒(かっかそうよう)で惜しい。1時間37分。東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマほか。(勝)

異論あり

美咲のこれまでの人生も、母親との間に何があったのかも、一見すてきな生活をしている香織が死を選んだ理由も、詳しくは語られない。明らかにこの1年以内と分かる「今」にいる彼女たちの見えない過去は、同じ時代を生きてきた自分や身近な人の経験を重ねて想像してしまう。大丈夫なふりをしている私たちも、実はけっこうぎりぎりのところで生きているのかもしれない。やがて感情をむき出しにしていく映画の中の彼女たちを見ながら、自分の中の抑えていた何かもあふれ出すような、不思議な解放感をおぼえた。(久)

技あり

斎藤文撮影監督は山あいの狭い村社会で、女性たちによるコロナの恐怖をマスクでしのぎながらの生活を描く。ある時は現実感満載で美咲の母を撮る一方、香織は白トビ気味のリアルさを欠いた美しさで撮る。白眉(はくび)は、香織が雨の降る日、山を眺める椅子でワインを飲みパスタを食べ、薬を飲み、暗くなると卓上のロウソクをつけ、立ち上がり妹に電話をかけ、草に寝転がって歌い、はかなくなるまでの10分。ほぼカットを割らずにカメラは追う。個人的には香織の顔にも雨が降り注いでほしかったが、大変な力技のワンカットを見せてくれた。(渡)

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