スウィート・シング ©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

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2021.10.28

この1本:スウィート・シング 残酷な現実を飛び越え

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

詩的な美しい風景や登場人物の感情の発露をスクリーンにきらめかせるみずみずしい感性は、どうやら若い映画作家だけの特権ではないようだ。それを証明したのはアレクサンダー・ロックウェル。「父の恋人」「イン・ザ・スープ」などで1990年代に脚光を浴びながら、長らく忘れ去られていた米インディーズ界のベテラン監督、25年ぶりの日本公開作である。

15歳のビリーと11歳のニコの姉弟(監督の実子ラナとニコ)は、父アダム(ウィル・パットン)と貧しくも幸せに暮らしている。しかし別居中の母と過ごすはずだったクリスマスは散々な結果となり、酒癖がひどいアダムは病院送りに。居場所を失った姉弟は、あてどない旅に出る。

やるせない痛みを抱え、図らずも罪を犯した者が、希望のありかを求めて逃避行を繰り広げていく。ロックウェル監督はそんなアメリカの伝統的なアウトロー映画の筋立てを、多感な姉弟の冒険劇に当てはめた。海辺で出会った少年を旅の道連れにしたビリーとニコは、壊れた大人たちとの日常から解放されていく。

16㍉フィルムのモノクロ映像が鮮烈。全編子供の視点に立ったカメラは、姉弟の生命力や好奇心と共鳴してダイナミックに動き回り、何の変哲もない草原や線路のロケーションさえ輝かせる。寂しさと憧れが混じったビリーの内なる空想をパートカラーの手法で映像化したイメージは、ガラス細工のようにマジカルな光と色彩を放つ。ロックウェルが指導している映画学科の学生たちとの共同作業で完成させた小品だが、粗削りなだけでなく繊細で親密な肌触りだ。

夢ははかなく、自由には代償がつきもの。アウトロー映画の結末は常に苦い。本作の冒険の旅も永遠には続かないが、子供たちは残酷な現実をも飛び越えていく。そのしなやかさが実にまぶしい。1時間31分。東京・シネマカリテ、大阪・テアトル梅田ほか。(諭)

ここに注目

パートカラーで映像化される場面の中でも、ビリーの名前の由来でもあるビリー・ホリデイが鏡の中に現れるシーンは、夢のような美しさ。現実が厳しいほど、そのきらめきと美しさが切なさを増す。貧しい大人たちは酒を飲み続け、ビリーの髪の毛を切り、ひどいことばかり繰り返すが、愛がないわけではない。ロックウェル監督のまなざしは現実を糾弾するよりも、子供たちの世界の豊かさに向けられている。おとぎ話のようなエンディングは楽観的すぎる気もするけれど、これは未来を担う世代への監督の祈りそのものなのだろう。(細)

技あり

ラッセ・トルボル撮影監督は、ロックウェル監督が教えるニューヨーク大の大学院生。白黒16㍉フィルムらしく粒子が浮き出し、震え気味の画面に強い明暗比を作る。墨絵のかすれを思わせる灰色部分が秀逸。抑えた画調のカラー部分もいい。画面を円形に絞って暗転させたり、反対に黒みから円く画(え)を広げていったりと、機械的にやった。スタッフは院生、カメラ前にいるのは家族で、遠慮はない。ロックウェル監督には夢の現場だった。子供たちが逃げ出すロングの夜空の美しさなどに、16㍉フィルムの「夢のような質感」を感じる。(渡)