毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.3.04
この1本:「あのこは貴族」 隔たりを漂う空気で
格差社会、社会階層、家父長制。言葉にすると堅苦しく、説明すれば図式的になりがちなことを、岨手(そで)由貴子監督は映像にして差し出し、画面に漂う空気として観客に得心させる。現代の女性をさまざまな視点とレイヤーで描き出す、知的で骨太、しかし柔らかく繊細な女性映画だ。
映画は東京の、境も壁もないがはっきりと隔てられた二つの世界を舞台にする。一つは生まれも育ちも東京の、医者のお嬢さま華子(門脇麦)の世界。女のしあわせは結婚して子どもを産むこと、30歳を目前に焦って見合いを繰り返す。もう一つには、地方出身の庶民の娘美紀(水原希子)が住む。苦労して慶応大に入ったのに実家の家計が苦しくて、夜のバイトでも学費を払えず中退。何となく東京で働いている。華子が婚約した、名家の御曹司で弁護士の幸一郎(高良健吾)が、美紀の大学の同級生だったことから、出会わないはずの2人が巡り合う。
設定は漫画的だが、岨手監督は細部に目を凝らして、二つの世界を鮮やかに対照させる。着ている服や立ち回り先、光の当たり具合や画面の質感。見ている風景も違う。華子の幼なじみで音楽家として自由に生きる逸子(石橋静河)、美紀の親友で起業を目指す里英(山下リオ)、あるいはそれぞれの家族と、2人の周囲に配された女と男たちが、さまざまな生き方を示す。二つの世界も一様ではないのだ。
華子の世界は高慢で排他的だが、岨手監督は特権階級や男性社会を声高に糾弾しようとはしない。幸一郎らもまた、因習にとらわれているのだ。階級対立を可視化する教条的視点ではなく、どちらがしあわせかという通俗的な比較にも堕さない。ただ、みずから考え自立しろと、静かに促す。押し付けがましさのないメッセージがかえって力強く、心地よく響く。
2時間4分。東京・新宿武蔵野館、大阪・テアトル梅田ほかで公開中。(勝)
ここに注目
東京出身のお嬢様と地方出身者の女の子の間にある厳然とした格差。富裕層の中にも存在しているらしい階級。そして異なる階層に属している人の前に同じように横たわっている、前時代的な価値観の押し付けによる閉塞(へいそく)感。岨手監督は華子と美紀のどちらかに肩入れすることなく、自分の足で踏ん張って生きようとする女性たちの日常に寄り添っている。華子が美紀の部屋を訪れ、落ち着くと語るシーンが象徴するように、違う世界で暮らす2人をわかりやすく対立させず、ことさら友情を熱く描くこともない視点に、希望が感じられた。(細)
技あり
東京駅のドーム屋根が目の前に迫るバルコニーで美紀が里英に「分かりやすく東京っぽい場所って、やっぱり楽しいよ」と言う。東京の情景が再三出るが選択眼がいいし、締まった構図で緊張感がある。佐々木靖之撮影監督のセンスだ。芝居でも同様。高層階のカフェで、逸子が華子を美紀に引き合わせる場面。まず、それぞれの階層を意識させるひな祭りの話。ウエーターが来ると、手前の柱を入れた引き画(え)に見下ろすビル街の光景、美紀の手のアップで一拍おいて肝心な話に戻る。集中を切らさず新鮮な感覚の女性劇を撮った。(渡)