「生きるLIVING」©Number 9 Films  Living Limited

「生きるLIVING」©Number 9 Films Living Limited

2023.4.10

「生きる LIVING」が4年目社会人の胸に刺さったわけ 仕事が退屈になった時の処方箋

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

きどみ

きどみ

社会人4年目。〝働く〟ことに慣れてきたと同時に、新卒1年目の時に抱いていた夢や希望は幻だったと気づき始める。上司が慌てるようなとんでもないミスの回数は減ったが、新しいことを学ぶ楽しさや貪欲さも同様に減ったように感じる。そんな時に出合ったのが公開中の「生きる LIVING」である。


黒澤明の名作をリメーク

黒澤明監督の「生きる」(1952年)のリメーク作品。舞台はロンドンに変わったが、描かれている時代は同じ第二次世界大戦後の社会で、カズオ・イシグロが手掛けた脚本もほとんどオリジナルに忠実だった。それなのに、初めて「生きる」を見て衝撃を受けた時と同様、いやそれ以上に「生きる LIVING」を見てこれからの生き方について考え込んでしまった。
 

余命宣告で生き方を見直す退屈な市民課長

ビル・ナイが演じたウィリアムズは、定年が近い市役所の市民課長だ。周囲に緊張感を与えるようなたたずまいだが、彼はただ回ってきた書類の処理をこなすだけで、仕事ぶりからは人間性が感じられない。


 
しかし、余命宣告されて自分の人生は何だったのか、虚無感にさいなまれる。生涯のうちに地位やお金を得られたとしても、それが人生の充足や生きる喜びにはなり得ない。地位、すなわち周りからの評価やお金を得るために、自分の意志や、人と対話する時間を犠牲にしてきたからだ。死を自覚してからそのことに気づく。
 
後回しにしていた「公園造り」を余生の目標に掲げ、1秒でも惜しいかのように動いた。下水が逆流した空き地に踏み込んだり、計画の承認を得るために役所内を駆け回ったり。書類の処理を放棄し、自らの意志を優先させた。結果として彼は、市民に感謝され、部下から尊敬される人物となって生涯を終えた。そして、亡くなる直前まで「楽しそうにブランコに乗って歌を歌っていた」のだ。
 

導入された若者の視点

黒澤監督の「生きる」との違いは、ピーターやマーガレットなど、次の時代を担う若手視点でも描かれていたところだ。そしてウィリアムズは、ピーターに宛てた遺書を書き残す。
 
「生きる LIVING」は、緊張感が漂うピーターの初出勤の描写から始まる。緊張しつつも、やる気に満ちあふれている様子から、自分の初出勤の日を思い出す。〝人をワクワクさせたい〟と新卒でアニメーション制作会社に入社した自分は、最初はやる気に満ちあふれていた。多くの人をアニメで元気にしたいと意気込んでいた。
 
だが新人の自分に課された業務は、監督の指示をエクセルに打ち込んだり監督のために資料を用意したりと、〝地味〟で退屈だった。自分でなくてもできるうえに、世の中の役に立ってる気がしなくて、ひたすら辞めたかった。


オリジナルになかった遺書に託された思い

そんな経験があったから、ウィリアムズの遺書は、ピーターと同年代である私にも強く響いた。「仕事が退屈になったら、誰の役にも立っている気がしなくなったら、〝公園造り〟のことを思い出して」といった内容だった。
 
仕事は〝公園造り〟のような、少数の人の生活を少しだけよくする善行なのかもしれない。やっても、やらなくても正直変わらない。地味で、退屈で、達成感はちょっぴり。
 
それでも、死ぬまでの限られた時間、評価やお金のためだけに働くのではなく、もっと〝今の〟自分のために意欲的に働きたい。会社の人だけでなく、みんなを笑顔にするような仕事をして、達成感を得ながらこの世を去りたい。改めてそう感じさせてくれた。「生きる LIVING」は、仕事に慣れ、程よい手の抜き方が分かり始めている今のタイミングで見たからこそ、より気が引き締まった。


仕事は誰のため?

なぜ、「生きる LIVING」で新たに場面が加わったのか。それはカズオ・イシグロが、人間は一度固く決心しても、時がたてば忘れ無意識のうちにラクな方を選択すると懸念したからだろう。若手であるピーターにメッセージを託し、誰かのために一生懸命になる大切さを忘れないでほしかったのだ。
 
ウィリアムズの死後、部下たちは「ウィリアムズのように生きよう」と誓い合う。だが時がたつと、書類の処理に追われる生活に戻り、〝公園造り〟のような限られた人のための案件を後回しにする。新人のピーターは抵抗を示すものの、他の者も巻き込まれたくないからと見て見ぬふりをした。
 

「ウィリアムズのように生きよう」誓いを忘れまい

思えば筆者も、黒澤明監督の「生きる」を初めて見た時、死ぬ時に後悔しない生き方をしようと一度心に誓った。その後は生き方について考えた期間もあったが、しばらくたつと、思考を停止して黙々と目の前の仕事をこなす元の生活に戻ってしまった。それが一番ラクだからである。
 
しかし、きっとピーターは彼の生き方を忘れない。遺書を読むたびに思い出すはずだ。ピーターの姿を見て育つ次の世代も、彼の働き方を模倣し、続いていくだろう。何も考えなくても仕事はできてしまうが、そんな中でこの映画は〝こんなふうに働くのはどうか〟と、言わば生き方を提案してくれた。まだまだ社会人生活は始まったばかり。ここからの働き方が、〝生き方〟につながるのだろう。ピーターがウィリアムズの遺書を大事に持っていたように、自分も「生きる LIVING」を大切に持ち続けたい。

ライター
きどみ

きどみ

きどみ 1998年、横浜生まれ。文学部英文学科を卒業後、アニメーション制作会社で制作進行職として働く。現在は女性向けのライフスタイル系Webメディアで編集者として働きつつ、個人でライターとしても活動。映画やアニメのコラムを中心に執筆している。「わくわくする」文章を目指し、日々奮闘中。好きな映画作品は「ニュー・シネマ・パラダイス」。
 

この記事の写真を見る

  • 「生きるLIVING」©Number 9 Films  Living Limited
さらに写真を見る(合計1枚)