第72回ベルリン国際映画祭に参加した、アンドレアス・ドレーゼン監督=提供写真

第72回ベルリン国際映画祭に参加した、アンドレアス・ドレーゼン監督=提供写真

2024.5.07

グアンタナモから息子を返せ! 米大統領を訴えた母親は「シンプルで不屈、ユーモア忘れぬ」 「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」 アンドレアス・ドレーゼン監督

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鈴木隆

鈴木隆

「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」は、米軍基地のグアンタナモ収容所に収監された息子を取り戻そうと、ドイツの母親と弁護士が米大統領を訴えた実話の映画化だ。政治的に重要なテーマと、軽妙なコメディータッチを併せ持つ快作だ。アンドレアス・ドレーゼン監督が、シリアスとユーモアを混在させた映画を作ったのはなぜだったのか。

 

グアンタナモから息子奪還

2001年10月、アメリカ同時多発テロのひと月後。ドイツ・ブレーメンに暮らすトルコ移民のクルナス一家の母ラビエに、19歳の長男ムラートから、パキスタン・カラチに行くと電話が入る。ムラートはその後帰国せず、3カ月たってから、タリバンと疑われ米軍のグアンタナモ収容所に収監されていることが分かる。ラビエは電話帳で見つけた弁護士ベルンハルトの事務所を訪れる。ラビエはワシントンD.C.に行き、ブッシュ大統領を相手に訴訟を起こす。

ドレーゼン監督は、08年にムラート・クルナスの本を読み感情を揺さぶられたという。ムラートがグアンタナモでどんな目にあったかを知り驚いた。「何よりアメリカ政府やドイツ政府に対する怒りを覚えた」。ムラートの経験を映画にしようと思ったが、ラビエに出会って考えが変わった。「ラビエさんはバイタリティーと人生に立ち向かう勇気にあふれ、楽しく愉快で、プラスの思考を持つ人だった」。彼女と会った夕食の席には、ラビエと行動を共にしたベルンハルト弁護士もいた。

「この2人との出会いから、映画のスタイルを変更した。息子を取り戻そうとする母親の視点で描きたいと考えた」。実際にグアンタナモに行くことも、そこがどれほどひどい場所か聞いても追体験することはできない。「母親の視線ならイメージしやすい。政治的背景とコミカルな部分をリンクさせるアイデアが浮かんだ」


「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」©️ 2022 Pandora Film Produktion GmbH, Iskremas Filmproduktion GmbH, Cinéma Defacto, Norddeutscher Rundfunk, Arte France Cinéma

ラビエはシンプル 余計なことを考えない

ドレーゼン監督はラビエの人柄をうれしそうに話し出した。「ある意味シンプルで、政治的主張や思想はない。息子を救いたい一心で突っ走った。母親ならだれでも考えることを行動に移した」。彼女の単純さから物事を見るべきだと考えた。

「知的な人は、得てしてこうした状況で迷い、どうせ無理だろうと諦めてしまう。ラビエさんは余計なことは考えず、自分がすべきことをする」。そこに考えてから行動する、知的なベルンハルトが加わる。「2人が一緒になったから不可能が可能になっていく。観客も2人に伴走してくれると感じた。それによって、グアンタナモという場所を知り、民主主義の国で起きている悲惨な出来事へのアプローチが容易になるのではないかと思った」


絶望的状況とユーモアをバランス良く

ただ、親子の情の部分があふれ過ぎると、政治的な背景や事実が陰に隠れてしまう。その恐れは感じていたのか。「不安は実際にあった。だから、悲劇的で重みのある場面をそこかしこに入れた」。ラビエが、息子が拷問を受けていたことを知る瞬間など、絶望しか感じられない。大きな政治的な出来事が、一つの家族の間に忍び込んで、破壊していく怖さの描写は重要だった。「最も気を配ったのは、極めて悲劇的な出来事と、それに対するラビエのユーモラスな部分のバランスだった」

ドレーゼン監督はユーモアについて語り始めた。「ユーモアはとても実存的なもの。人間は耐え難い状況でも、あるいはそうした状況だからこそ、笑いとばす能力がある。ラビエさんはその能力が高く、絶望的な状況に陥っても、涙を流しながら冗談を言って耐えようとする人。私たちは少なからず日常的にそうした経験をしているから、ラビエさんの気持ちが理解できる」と言い切った。「母親にとって子供を失うのは最悪なこと。ユーモアをもって笑ってそれを乗り越え、決して人生を呪ったりしない。彼女の軽やかさがすばらしいと痛感した」


複雑な法律も分かりやすく

ラビエを演じたメルテム・カプタンはコメディアンで、初の映画主演作。第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(主演俳優賞)を受賞した。カプタンは実際のラビエさんに何度も会い、独特のトルコなまりや身ぶり手ぶりを観察して人物像を作りあげたという。俳優への演出は順調だったようだが、製作過程で悩んだことがあった。法的な事実関係を観客にどう伝えるかである。「5年の間、あらゆる法的手段を用いたからだ。あまりに複雑だったので、映画の中では簡素化した」と話した。

しかし、ここでもラビエのキャラクターが功を奏した。「彼女は法律的な知識はないからものすごくシンプルな質問を投げかけた。普通の人だから当たり前で、観客の代わりになった。それに対して、ベルンハルトらが分かりやすく説明する。ドラマツルギー的にも結果的にうまくいった」と付け加えた。


映画は人の心を動かせる

実際のムラートは01年12月にパキスタンで逮捕され、02年2月にグアンタナモ収容所に移送。06年8月にドイツの米空軍基地で家族や弁護士に迎えられ解放された。「この物語を知った時の怒りは今も変わらない。ドイツもアメリカも民主主義や法治国家をうたっているのに、決して許されないことだ。私たちはしばしば、独裁国家や強権的な国家を批判するが、自国の姿から考えなければならない」と語る。「いまだにドイツの政治家はムラートさんとその家族に謝罪もせず、何ら責任をとっていない。ムラートさんがトルコ人だからという理由で助けようとしなかった。隠された人種差別があったと考えている」と語気を強めた。

「映画で政治や社会を変えられるわけではないが、人々の心を動かすことはできる。一人の普通の女性が、不可能なことを達成したことに希望を見いだしたい。大きな権力と対峙(たいじ)してそれを動かしたのである」。ドレーゼン監督は作品に込めた思いを語る。「私たちは毎日のようにニュースに接しても、客観的に見ているだけ。しかし、今生きている社会も人間が作ったものだから、動かすことができるのではないか。そう思うきっかけを与える映画にしたつもりだ」

最後にラビエとムラートの今を聞いた。「2人とは連絡は取りあっている。ムラートさんは数年前から再びブレーメンに住み結婚して子供もいる。ただ、グアンタナモやこの問題からは距離を置こうとしている。レッテルを貼られるがつらいのだと思う。ラビエさんは元気で3人の子供と仲良くしている。ドイツでの上映の時にはトークにも出演してくれた。家に残る一番下の息子が愛情を一身に注がれている」と話し、ほほ笑んだ。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

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  • 第72回ベルリン国際映画祭に参加した、アンドレアス・ドレーゼン監督=提供写真
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  • 「ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュ」第72回ベルリン国際映画祭に参加した、アンドレアス・ドレーゼン監督(前列左から2人目)
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