「アイヌプリ」の福永壮志監督

「アイヌプリ」の福永壮志監督下元優子撮影

2024.12.29

当事者ではない福永壮志監督が、なぜマイノリティーを描くのか 「アイヌプリ」

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

筆者:

鈴木隆

鈴木隆

撮影:

下元優子

下元優子

「アイヌプリ」は、アイヌ文化を日常の一部として暮らす家族らに密着したドキュメンタリー映画だ。福永壮志監督は「生きた文化は映像には残せても、言葉にならない何かを含めたその神髄は、気持ちが向き合わないと伝えられない」との信念を持って作品を作りあげた。


生きた文化を楽しむ 現代のアイヌを撮ったドキュメンタリー

北海道白糠町の食肉処理工場で働くシゲさんこと天内重樹は、先祖から続くマレプ漁や踊りといったアイヌの文化や信仰を息子の基輝らに伝えながら、妻と家族4人で生きている。継承するという気負った考えではなく、楽しみながら続けている。アイヌプリとは「アイヌ式」の意味だ。

福永監督はアイヌを主人公とした劇映画「アイヌモシリ」(2020年)の撮影中にシゲさんに出会い、「マレプ漁」を見学。棒の先にカギの付いた「マレプ」という道具を使ったアイヌの伝統的な漁だ。「シゲさんが日常の中で行っている活動、人としての魅力を映像に収めたかった。一家の姿をそのまま残したい」と19年からドキュメンタリーの撮影を始めた。

「マレプ漁一つとっても、いい大人が必死にサケを追いかけて、楽しそう。気持ちのままにしている活動が、結果的に伝統や文化の継承につながっていることに鮮烈な印象を受けた」。シゲさんの魅力を「純粋でひたむき、信念もあり自然体。信仰も深く祈りも欠かさない。自分からは決して語らない」とよどみなく語る。

家族にスポットを当てたのも、自然の流れだった。序盤では、シゲさん一家の食事風景を淡々と見せる。「シゲさんを追っていたら、その風景に中に家族がいた」。親子の姿も「撮っているうちに物語の核になると考え焦点を当てた」。基輝は素直で自然体、人懐っこい。シゲさんとマレプ漁に行くなどアイヌ文化に関心はあるし父親を尊敬していても、引き継ぐという特別な感覚は示さない。両親も、アイヌとしての活動を押し付けることはない。「シゲさん自身が、文化や活動を復活させようとするのではなく、やりたいからやっている」


「アイヌプリ」©2024 Takeshi Fukunaga/AINU PURI Production Committee

「アイヌ全体ではない」一家族の物語

撮影クルーはカメラマン、録音技師、運転手、福永監督の4人。日が暮れた後のマレプ漁の撮影などは暗闇の中で、ギリギリまでライトを使わずに撮っている。シゲさんだけでなくクルーも、楽しんでいるような雰囲気が漂う。福永監督が撮影の日々を語る。「どれだけ調べても自分からは絶対に出てこない言葉に出合うなど、フィクションとは違うドキュメンタリーの面白さを何度も感じた」

インタビューの途中、福永監督が強調したことがある。「映画はシゲさんやその周囲の人の話で、アイヌ全体のことでは決してない。こうした人もいるということ。『アイヌモシリ』から10年近くかかわっているが、アイヌについて知らないことはたくさんある」。その上で、こう話す。「アイヌは一つの成熟した文化で、何事にも感謝を忘れないとか、いろいろなものに神様が宿っているといった考えがベースにある。一方で、合理的な面もある」。2本の映画を通じてアイヌの友人や知人を得たからこその言葉だろう。


偏見生む可能性自覚しつつ

自身の立場をネーティブアメリカンと白人の関係になぞらえ「アイヌに対する和人」と位置付ける。「僕がかっこいいとか美しいとか思ったことを過剰に表現することで偏見を生んでしまったり、アイヌの人たちが違和感を持ったりする危険があった」と細心の注意を払った。そのため、編集にかなりの時間を要したという。

例えば、正装を着た踊りのシーンがある。「正装は儀式や神事で踊る時に着るものだが、映画では練習のシーンで着てもらった。かっこよく撮れたものの、撮影のために正装していいのか確認のつもりでシゲさんに見せたら『かっこつけてるシーンだからかっこよく映っていればいい』と言われた」。こうした経験を繰り返しながら慎重に作りあげた。

「非当事者が被写体を選ぶ難しさを感じた。コミュニケーションをとることでしか見えてこないものもあった」。といって、はれ物に触るような姿勢では映画として表現できない。「信頼してもらい、確認する大切さも学んだ」。踊りのシ-ンは残ったが、正装を身に着けたポートレートのショットはすべて外したという。


見えにくい事象に焦点を当てたい

福永監督はアメリカを拠点に16年間暮らした。その中で最も学んだのは、視点と題材の選び方だという。「なぜ、今、これなのか、明確な答えを持って作る。今までの作品には自分なりの理由があった」と話す。アイヌが題材の映画を2本作ったことについては「北海道の出身なのにアイヌをどれほど知らなかったかに気づき、きちんと知ろうと考えたから」と背景を述べた。アイヌを題材にした映画が近年増えていることについても聞いた。「僕の立場で言えることに意味があるかは分からない」とした上で、「認知度が高まるのはいいことだが、どれほどの繊細さで製作しているかは時に疑問だ」と語る。

長編デビュー作「リベリアの白い血」(15年)以来、マイノリティーを取り上げる作品が多い。「アメリカでアジア人として差別や偏見を経験したことは大きいし、現実への憤りや不条理を感じていることもある。今後も声が届きにくい人、見えにくい事象を映画という形で描いていきたい」と話した。

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