「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」のモデル、 ヤジッド・イシュムラエン=下元優子撮影

「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」のモデル、 ヤジッド・イシュムラエン=下元優子撮影

2024.4.04

ストリートから頂点へ「安易な成功はもろい。強い意志で努力して」 「パリ・ブレスト」モデル、ヤジッド・イシュムラエン

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鈴木隆

鈴木隆

取材部屋に入ると黒っぽいスーツに身を包んだ男性が座っていた。一見、ファッションモデルのようだ。10年前、22歳でパティシエの世界の頂点に上り詰めたヤジッド・イシュムラエン。「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」主人公のモデルとなった人物である。なぜパティシエになったのか、自身の子供時代や修業時代、世界を飛び回るビジネスマンでもある今について語る言葉の端々に、究極のこだわりとアーティストとしての探求心、責任感が浮かび上がってきた。


22歳で菓子作りのチャンピオンに

22歳でパティスリーの世界選手権チャンピオンの座をつかんだヤジッドの自伝を元に映画化。育児放棄の母親の下で過酷な生活を強いられてきた少年時代。10代でパリの高級レストランに見習いとして雇ってもらうチャンスをつかみ、毎日180キロ離れた田舎町からパリに通勤し、時に野宿をしながらも著名なパティシエのもとで学び続けた。彼に嫉妬する同僚の策略で突然仕事を失うこともあったが、持ち前の情熱で夢をあきらめずに突き進んだ日々を描いた。

映画の準備期間のみならず、撮影中もデザートが登場するシーンのすべてを監修した。映画の現場に立ち会うのは初めてで学ぶことが多かった。「映画もきちんと準備することでビジュアル的にいい結果が得られる。お菓子もよい材料をそろえ、分量を正確に測って作るからこそいい成果を生む。もう一つはチームワーク。今回エキストラ含め200人ぐらいの撮影だったが、マネジメント力によってみんなが錬金術のように結合した。お菓子も同じ。ともに職人芸的な部分があった」


「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」©DACP-Kiss Films-Atelier de Production-France 2 Cinema

悪い部分も見せて、メッセージを届けたい

自身の映画化でどんな要望をしたのか。「シナリオ初稿には恋愛物語が加えられていたが、僕の(22歳までの)半生にはないからカットを求めた。自分のエゴを前面に出すのではなく、悪い部分も提示して、現実の人生になるようお願いした」。実際、幼いヤジッドが万引きするシーンもあった。

自身の負の歴史を描くのに抵抗はなかったという。「貧困やネグレクトを再現することにためらいはなかった。どんな境遇も今の自分を形成しているわけで、あのような時代も人生の一部。排除も無視もしない。すべて正直に見せることで観客にメッセージが届くと思った」と一気に話した。

幼少期に預けられた里親の家で食べた手作りのお菓子が人生を決定づけた。里親の息子2人は大型スーパーなどで売っている菓子の職人になった。「本当の母親に認められたことがあまりなかったので、『おいしいね』と言ってもらいたくてお菓子作りを始めた」。自然と自分が最高のパティシエになることを夢見るようになっていった。

「デビューしたての頃は、もっともっとと上ばかり目指していた。成長するにつれてシンプルなものの良さに到達し、今はミニマリストだ」と話す。「これ見よがしの贅沢(ぜいたく)さは過去のもの」と言い切り、目指す菓子作りは「デザインが洗練された無駄のないもの。素材を熟知し、そのルーツから性質まで見つめ、自信をもって提供すること」と持論を語る。


沖縄の抹茶はお気に入りの素材

インタビューの途中で抹茶ラテを飲み始めた。抹茶は最近好きになったそうだ。「僕のお菓子に抹茶は常連の素材」と言う。抹茶が最高級パティシエのお気に入りの素材と聞き驚いた。「沖縄の抹茶を輸入している。沖縄は暑く、抹茶も天日干しでよく乾燥し、世界でもトップクラスだ」

「優れたお菓子職人は素材の選び方が違う。極めたいと思ったら100種類もの抹茶や緑茶を比べて一番いいものを選択しなくてはいけない。味だけでなく、効能も考える。沖縄の抹茶はテイン(カフェインと同様にお茶から抽出された覚醒作用をもつ物質)が通常の100倍以上ある」。インタビューに立ち会った全員が、その博識ぶりと探求心に声を上げて感心した。


努力重ねた〝その後〟の日々

映画はヤジッドが世界チャンピオンになったところで終わるが、22歳の若さで大きな称号を得た後にどうしたのか。「人生の大きな転機であり、ページをめくったことは、苦しい経験にもなった。一番高い所に到達したが、自分は教養もなくストリートチルドレンのようなもの。チームを率いていけるか責任が取れるか、3年から5年は模索していた」

プレッシャーに打ち負かされることだってある。「ありえない境遇から手にした勝利だった。その後は、スタッフにどう接するか、どんな服を着るか、いかに健康をキープするか。今日より明日を良くするための、努力の日々だった」と話す。「疲れませんか」と聞いたら、「昔と比べたらたいしたことはない。疲れたら抹茶を飲みますよ」と笑顔を見せた。


サクセスストーリーではない

最後に今後の目標を聞いた。「今のビジネスや生活を継続すること。すごい人材、スタッフに恵まれている。反省を生かしながら、自分の望む方向に進むこと」と明快だ。「この映画は、『サクセスストーリ-』ではない。『サクセス』の中にはエゴがたくさんある。チャンピオンになりたいと思わない人もたくさんいる。自分の進みたい場所とどう折り合いをつけるかが大切だ。『サクセス』という言葉は好まない」
 
「僕の名前や業績は覚えてくれなくていい。僕がどんな苦労をしてきたかが、メッセージだった。今の時代はSNSや投資など、努力しないで成功する幻想があふれている。でも、それはもろい。愚痴など言わず、強い意志で現実に向かってほしい。この作品が(観客にとって)謙虚で強くあるきっかけとなればいい」と思いのたけを力強く語った。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
下元優子

下元優子

1981年生まれ。写真家。東京都出身。公益社団法人日本広告写真家協会APA正会員。写真家HASEO氏に師事

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