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2024.11.02
家父長制のパキスタンでも性は恥ずべきものではない「ジョイランド わたしの願い」 サーイム・サーディク監督
パキスタンの「ジョイランド わたしの願い」は、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞とクィア・パルム賞、インディペンデント・スピリット賞最優秀外国語映画賞などを受賞、パキスタン映画のクオリティーの高さを世界に示した。初の長編映画でオリジナル脚本も手がけたサーイム・サーディク監督は「家父長制の中で生きるすべての人たちへのオマージュのつもりで作った」と語った。
失業中の次男が見つけたバックダンサーの仕事
パキスタンの大都市ラホール。ラナ家の次男ハイダルは失業中で、メークアップアーティストの妻ムムターズが家計を支えている。家父長制の伝統に厳格な父から、早く仕事を見つけて男児をもうけるようプレッシャーをかけられていた。友人から紹介されたバックダンサーの仕事に就くが、ダンサーでトランスジェンダーのビバと出会い、そのパワフルな生き方にひかれていく。
伝統的な価値観の中で暮らす夫婦や家族、性差別を受けるトランスジェンダーが自分らしく自由に生きたいと葛藤する物語。サーディク監督自身や周囲の状況が、映画化のきっかけとなった。「この映画は本能的に出来上がったといえる。10代から青年時代を通じて嫌だと思っていたのは、世の中に性に対するたくさんの厳しい規範があったことだ。それに従わなければいけないとされていたし、セクシュアリティーや欲望へのタブーがあることも受け入れがたかった」
「ジョイランド わたしの願い」© 2022 Joyland LLC
セクシュアリティーを隠そうとした両親
サーディク監督の話は具体的だ。「両親はセクシュアリティーについて絶対に話さない。むしろ隠そうとする。そうしたことは恥ずべきものだという考えがあった。しかしそれは家父長制から来ていて、批判すべきだと思っていた。人が本来持っている欲望や体をコントロールしてしまうからだ」
筋立てはフィクションだが自伝的な要素もあり、長年にわたって自身の内にあった思い、葛藤があふれ出ている作品といえる。「(映画製作自体が)個人的なカタルシスでもあったと思う。作ってみたら、これまで嫌だと考えてきたことについて語っていた」と話した。
社会の変化生まれつつある
映画は多くの国で高い評価を受け、普遍的なテーマを持つ。海外で理解してもらうことを意識していたのか。「十分考えていた。よく言われることだが、特定的であればあるほど普遍性を持つ。ただパキスタンにも、女性が働く自由を認める家族もあるし、働く女性がドメスティックバイオレンスの標的になることもあって、さまざまだ。映画では(自由度が)真ん中当たりの家族にしたつもりだ。怒鳴り合いはないし、あからさまに強制もしない。それでも、旧弊な価値観が微妙な影響を及ぼし、適度に機能しているのも事実だ」
パキスタン以外の場所でも、共感してもらえる確信はあった。「進歩的で自由と言われるアメリカでさえ女性は差別されているし、『男(女)はこうあるべし』と期待されている側面もある」。家族の一人一人のキャラクターは、リアリティーがあり、かつ記号のように特徴をはっきりさせて、分かりやすいドラマにした。
ただ、現在のパキスタンでは大きな変化が生まれているという。「世代間の違いもあるし、ソーシャルメディアが普及してクィアコミュニティーも目に見えるようになってきている。クィアのグループが集まって抗議したり、TikTokやインスタ、X(ツイッター)などで存在を主張したりする。以前はコミュニティー自体を隠していたのでバッシングを受けることもなかったが、今は保守的な人からバッシングされるようになった。それでも、グループが大きくなってくるといいものが生まれ、それによって勇気づけられる」と話す。
暗闇と色彩で描くパキスタン
色調の美しさや、光と影による主張が印象的だった。それぞれの人物が持つ立場や内面を明確に反映しているからだ。「そこは、ストーリ-を語る意味でも照明デザインからも、強く意識した。光で遊びたい気持ちもあった」。とりわけ室内の明暗を強調し心情を的確に映し出す。「誰もが秘密をもちながら、自分のしたいことに向き合い苦悩している」
ハイダルはビバとの浮気を隠し、ダンサーの仕事を家族の誰にも話していない。ムムターズはもっと仕事をしたいという気持ちや性的不満を隠している。「そうした場面はとことん暗く見せ、暗闇の中で楽しみにふけっていることを表現した」というのだ。
物語にダークで陰湿な部分がある一方で、全体のトーンはカラフルで映像は鮮やか。ハイダルがバイクで走るシーンの疾走感など、さわやかさもある。パキスタン映画独特のものなのだろうか。「意図したところだ」と躊躇(ちゅうちょ)なくキッパリした反応が返ってきた。「パキスタンの人はハッピーで面白く、とても軽快だ。問題はいろいろあってもゆったりしたペースで生き、よく笑う。貧しくても色彩にあふれている。そうした一面も正直に描きたかった。それに、人生のある瞬間は悲しくても、次の瞬間にとてもハッピーになることもある。常にダークではない。そこをリアルに描きたかった」
「私はパキスタンで育った。自分が誰か、どんな映画をどう撮りたいか考える」。「今後どんな監督になりたいか」という問いの答えである。ウォン・カーウァイやクシシュトフ・キェシロフスキ、ポール・トーマス・アンダーソン、是枝裕和といった監督の名前をあげ、こう締めくくった。「尊敬する監督は多くいるが、彼らの素晴らしい映画はすでに存在する。私は自分なりのものを大切して、自分らしい映画を作っていきたい」