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2024.2.03
気持ちも自由、着るものも自由「書くことは幸せ」角野栄子 「カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし」
「魔女の宅急便」の作者として知られ、89歳になった今も現役の児童文学作家として執筆を楽しむ角野栄子のドキュメンタリー映画である。いちご色の壁や本棚に囲まれた神奈川・鎌倉の家に住み、カラフルなメガネとファッションで遊ぶように暮らし、遊ぶように書き続ける角野に密着。幼くして母を亡くし、戦争を体験、24歳でブラジルに渡るなど波乱に満ちた人生をたどった。子供のころから尽きることのない物語への愛着と自由な生き方は、若者へのメッセージにもなっている。
顔はファンタジーで
NHKのEテレで全10回放送された同名番組をベースに追加撮影し再編集した映画版「カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし」。「映画は多くの方が見る。映画を好きで見てきた人間としては自分がそれに値するか、申し訳ない気がして」と少し抵抗があったが、「リアルに撮らないで。顔はファンタジーでとお願いした」。インタビューの始まりから場を和ませた。
「書くことは私の幸福」という。物語を作る楽しさをこう説明する。「体の中に物語のうねりみたいなものがあって、終わりを考えないで書いているうちに、いろんなことが起きるのが面白い。主人公が歩くのを追いかけているように書く」。先の展開やラストは決めていない。「立ち止まっていると、主人公が『退屈なの』と聞いてきたり、『違う所を曲がってみようか』とか『人に出会わせようか』と言ってくれたりする。うれしかったことやときめいたことを風景の中に押し込んでいく。主人公が大好きだから」
物語のインスピレーションはどんなに時わいてくるのだろう。「メモにいたずら書きをしていると気持ちが自由になっていく。それが絵の時もあって、だんだん書きたくなる」。その連続という。書きたくない時もあるのでは、とあえて聞いてみる。「ないです。自由に書かせていただいている。お仕事だと何文字でいつまでという約束がある。そういう約束はしない。シリーズ物は仕方がないけど、自由に書いて、できたら編集者に」。このスタンスで続けてきた。
「カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし」自宅で食事の準備をする角野栄子ⒸKADOKAWA
書き直しは発見の連続
「私の中には〝気持ちがいいライン〟というのがある。納得に近いかもしれない。それに合わなかったら書き直す」という。書き直しは手間も時間もかかり大変だ。「なぜ」と聞いたら、「書き直すたびに発見があるから好き。書き直していくうちにラインまで行けばOK」とよどみがない。35歳のデビュー作「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」は、最初は原稿用紙300枚あったが、短くするよう言われ10回以上書き直し70枚に。「書き直しは楽しかった」
読者の存在は、基本的に「意識しない」。「子供が面白いと思ったものは大人も面白い。大人が面白いと思ったものを、子供は必ずしも面白いと思わない。児童文学は大人が書いて子供が読む。書き手としては自分がワクワクしてこういうものかという気持ちになる。自分が喜んで書くしかないでしょう」
戦争から解き放たれて
言葉の端々に前向きな考え方を感じたが、即座に否定された。「暗いところもあります。5歳で母を亡くしているし、父が再婚して半年後に出征。精神的に不安定な時代もあった。終戦の時は10歳の子供。それまでは停電が多かったり電灯に風呂敷をかぶせたりしていたから、子供の目から見て(暮らしや社会が)解放されていくのがとにかくうれしかった。戦争という暗い時代から解き放たれたことを大事にしたい」。生き方に大きく影響し、創作の原点の一つにもなっているのは戦争である。「〝戦後〟を書く時は解放された女の子を書いた。自由を獲得したうれしさを実感し、自由に生きたいと感じたからだ」
その言葉通り、デビューまでの経歴は多彩だ。大学を卒業後、出版社に勤務。結婚後、夫とともにブラジルに渡り、ラジオ局の営業として働きながら2年間暮らした。「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」は、その時にポルトガル語を教えてくれた少年ルイジンニョや、周囲の人々との交流を描いた作品。日本に帰国後、大学時代の恩師に勧められて執筆し、作家としての出発点となった。
子供たちに「もっと自分を表現して」
物語を生み出すとき、ほかにも気を付けていることがある。「気持ちが自由なこともさることながら、着ている物も楽じゃないとだめ。どこかがきついと感じたら進まない。楽な格好をして、身なりも含めて自由になりたい」。体調が悪いと書かない時もある。「でも、書くことで体調を維持したり、安心したりする時もある。精神が安定するんでしょうね」と話した。
世の中には、角野の作品にはあまり登場しないような悩みを抱えている子供もいる。いじめ、虐待、自傷や自殺。作品の主人公とは対極にいるような子供たちのことをどう考えているのだろう。「面白い物語を読んで、面白い世界があることを感じてほしい。そういう子供たちほど深く考えるかもしれない」
子供たちの反応も変わってきた。「私の本を読んで手紙をくれるのはうれしい。でも、今の子供は言葉が少し少ない。以前は読んだ後の感想が圧倒的で、自分はこう思ったとか、本から違う扉が開いて異なる世界を体感していた。今は『面白かった』くらい。もっと自由に想像力を広げて、異なる世界を楽しんでくれたらうれしい」。さらに続ける。「今の子は自分の考えを言うのが怖いのかもしれない。隣の人と同じように言っていれば楽だから。自分を表現する言葉を獲得してくれたら」と願っている。
「カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし」から。デビュー作「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」のモデルとなったルイジンニョ(中央)が来日、62年ぶりに角野栄子(左)と再会したⒸKADOKAWA
90歳までに「きれいなラブストーリーを書きたい」
目標がある。「90歳までに1冊本を書きたい」。ただ、プレッシャーにはなっていない。「私が勝手に決めたことで、書けなくてもいいから」と気楽で力がいい感じに抜けている。内から湧き上がってくる物語も「もう止まりそうよ」とおどけて見せた後、間髪入れずに「すごくきれいなラブストーリーが書きたい。89歳のおばあちゃんがラブストーリーなんていいでしょう」と気力はまだまだ十分だ。
その一方で2023年11月、東京都江戸川区南葛西に「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)が完成。角野作品や他のさまざまな児童文学に子供たちが慣れ親しむ場所も作られた。自身の子供のころを振り返る。「戦争で本があまりなかった。それでも出会うことができた『アンデルセン』や『アラビアンナイト』などに心が動いた。精神的に不安定な時期もあったが、そういう時にどれだけ物語が救いになったことか」
獲得した自由を大事に育て、想像力を広げて多数の本を生み出してきた。多彩な経験は、自身の「楽しい」をベースにした〝気持ちがいいライン〟を創り出し、それが書くことへの原動力にもつながっている。角野の世界を少しでものぞいたら「面白いことを考えるのが好き」という魔法が待ち受けている。