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2024.6.26
〝3世俳優〟のプレッシャーは「過去形」 「背負ったものがある方が、強い」 寛一郎「プロミスト・ランド」
寛一郎は「プロミスト・ランド」の主役、マタギの礼二郎役を打診された時、一度断ったという。「22、23歳のころ。まだできないんじゃないか、すごくやりたいけど、何かが足りない気がすると」。しかし「だったら撮影までに間に合わせればいい」と返されて「それはその通りだ」と思い直した。「チャレンジしなきゃいけないと思いました」。それから数年後、山形の山中での撮影に臨むことになった。
熊狩りに取りつかれた男たち
飯嶋和一の同名小説が原作。1980年代、熊が減りつつあった山村で、環境庁(当時)の通達により熊狩りが禁止される。反発した若いマタギの礼二郎は親方の言いつけに背き、年下の信行と共に熊を求めて山に入っていく。映画の大半で、寛一郎は信行役の杉田雷麟と共に、雪の残る山中を歩き回る。
毎日1時間半かけて撮影地まで行き、急斜面の雪面を歩き、冷たい川を渡った。「山登り自体は好きじゃないんですけど、自分と向き合うことを山が助けてくれると実感できました。携帯電話もつながらない、普段と違う場所にいる感覚で自分を見つめ直す。そこでこそ礼二郎が生きていける。そこはすごく分かったし、共感できた」
里での生活にむなしさを感じている礼二郎は、しゃにむに熊狩りに向かい、イヤイヤ同行した信行も次第に熊を追うことに夢中になっていく。寛一郎は撮影の1年前に、撮影した山形の猟友会の猟師に話を聞き、一緒に山に入ったという。マタギを理解しようと意気込んだ。
「プロミスト・ランド」©️ 飯嶋和一/小学館/FANTASIA
山と自分と熊だけ
「自然と人間の共存とか、熊を殺して祈りをささげることの意味とか、どう考えてるのか聞いてみたんですけど『熊撃てりゃいいんだよ』 と。熊狩りに喜びを感じるということでもなく、熊を捕って、祈りをささげてきれいに食べることは染み渡った文化で、そこに理由も意義もない。そういうものなんだなと。でもそこに、本質があるのかと思いました。一緒に山を登って熊を探してる時は、山と自分と熊しか存在しない。背景の社会もなくなって、そういう時間はすてきだなと思いました」
実際に熊を目撃し、獲物の熊を解体する儀式の場面では、猟友会が捕獲した熊を使った。「対岸をのぞいてる時に、歩いている熊を見たんです。興奮しちゃって」と笑う。「熊の内臓は美しいんですよ。匂いもなくて、グロいという表現は一切浮かんでこない。山でそういう精神状態だったからかもしれないけど、本当に神秘的でした」
「プロミスト・ランド」は、自然と人間の結びつきを伝える映画を作る「YOIHI PROJECT」の第2弾。寛一郎は1作目の「せかいのおきく」に続いての出演だ。社会的意義のある作品は、意識的に選んでいるという。「何かを知るために役に立つ、価値のある作品を作っていきたい。映画という文化を残すために役者をやりたい。ちょっときれい事ですけど、そう思ってます」
自分の位置が分かってきた
祖父・三國連太郎、父・佐藤浩市に続き、俳優一家の3代目。歌舞伎界ならいざ知らず、映画界では珍しい。幼い頃から撮影現場をのぞき、19歳で初めて映画に出演した。「三國の芝居は、彼が亡くなった後、自分が役者を始めるぐらいから見ました。化け物だと思います。超越した人だった。戦争を体験しているし、時代的なものもあるのでしょうが、演じるということにとどまらず、すごい人。『おじいちゃん』として見ていたけど、もうちょっと話したかったな」。浩市に関しては「努力の人。比べる対象が三國で、コンプレックスも含めきつかったろうと。息子だから分かります」。
当人も「プレッシャー、ありましたね」と振り返る。しかし、過去形。というのも「他人からどう思われるか、気にしなくなってきた」からだという。「自分が何者か分からない時は、比較されると苦しい。自分って何なんだと。でもそれが、自分の中で明瞭になってきた。今は重圧や責任を、自分の強さに変えられている気がするんです。背負わない人間より背負った人間の方が、窮地に立たされたときの支えがある気がします」
フラットでありたい
芝居も変わってきたという。「以前は周りを見すぎてたのかもしれない。自分自身を相対化しすぎる癖があって、いい意味でも悪い意味でも、達観してる、俯瞰(ふかん)してると言われます。今はそれも持ちつつ、主観としての自分の位置を明確にするには、やっぱり自分が必要だと思い始めています。自分の位置や足りないものが分かってきたし、どう役と向き合うか、どんなふうに自分らしさを出すかを考えられるようになった」
河合優実と共演した「ナミビアの砂漠」はカンヌ国際映画祭に出品、アイヌと和人の関わりを描く主演作「シサム」も控え、活躍が続く。「僕はフラットでありたい。一緒にものを作っていく上で、年上の方へのリスペクトは持ちつつ、誰に対しても態度を変えたくないと思っています」。気負いのない言葉に、自信が感じられるのだった。