公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。
2024.3.06
「震災、風化していい」 福島で福島の人と「水平線」を撮った小林且弥監督とピエール瀧が考えたこと
主演のピエール瀧は演じながら、こう感じていた。「結局、もやもやしたものが残るんですよこの映画。それは何なんだろうとかみしめながら帰ったり、次の日にこういうことかもと思ったり、翌々日には違うかもと、後味がいろいろに変化していく。どうしてこんな結末になったかは僕にも分からないけど、何か腑(ふ)に落ちる。人の営みってそういうものの気がする」。作品を否定しているのではない。むしろ深みに陥ってほしいのだ。公開中の「水平線」は、誰かと話したくなる味わいに満ちている。小林且弥監督と主演のピエール瀧の言葉に、その理由の一端がうかがえた。
〝喪失〟ではなく〝不在〟を抱えた人々
東日本大震災で妻を失った井口真吾は、福島県の港町で娘の奈生と2人暮らし。生活困窮者や高齢者を相手に、格安で海への散骨を請け負っている。一方奈生は、遺骨の見つからない母の死をいまだに消化できない。真吾は殺人犯だった男の散骨を引き受けるが、現れたジャーナリストに震災犠牲者が眠る海に殺人犯の骨をまくのかと非難される。奈生も散骨を反対し「お母さんの骨が欲しい」と家を出ていく。
コロナ禍前の2018年ごろ、神奈川芸術劇場の舞台作品として企画がスタート。舞台公演はさまざまな事情で頓挫したが、小林監督は映画化を模索した。福島県にプライベートで通い多様なコミュニティーと関わり、宮城県・石巻を舞台にしたドラマに参加する中で、本作の主人公、井口真吾の元になる人物に出会う。東日本大震災で妻が不明のまま見つかっておらず「かあちゃんがいつ帰ってくるかと思い、悲しいでも寂しいでもなく『つまんねえんだよな』とおっしゃっていたのが僕の中ですごく残っていた」と小林監督は振り返る。
「外から見たら〝喪失〟という言葉でくくられるが、この人が抱えているものは喪失ではなく〝不在〟につながる。喪失も不在も一緒くたにとらえられがちだが、向き合い方は全然違う。不在は完全に失ったことを認めていない」。瀧からも作品に入る前に「決別の話ではないのか」と言われたが、「決別できない男が、他者の決別を補助してあげる。その姿を描きたかった」。
「水平線」︎©2023 STUDIO NAYURA
散骨が促す決別
うなずいていた瀧が付け加える。「不在のままのものとの決別、成長して離れていく娘との決別もある。さらに散骨は『ここに行けば骨(墓)があって会える』という因習との決別でもある。ここまで考えて腑に落ちた。決別という言葉が思い浮かぶ前は、どこをどう描きたいのか包括しにくかった。小林監督と話すうちに、登場人物は、必ずしも前に進むわけではなくても、それぞれの状況と決別する。そこから感じたり見えてきたりするものがあると考えた」
真吾を散骨業者にしたのはなぜだったのか。小林監督が意図を語る。「他者を引き受ける仕事であること。そして弔いの多様化、お墓を作れない人がいる経済格差、核家族化が進んで会ったことのない親戚を弔うという現実など、日本の変わりようも垣間見える」
散骨に法的規制はないが、厚生労働省がガイドラインを定め、粉骨する、水溶性の容器に入れるなど自然環境に配慮する――といった基準があるという。東日本大震災後の時もセレモニー会社が一部門として引き受けたり、個人で散骨業を営む人がいたりした。
「瀧さんで撮りたい。たたずんでくれればいい」
小林監督は俳優でもあり、瀧とは白石和彌監督の「凶悪」(13年)でヤクザの兄貴と舎弟役で共演。初の監督作品の主演は瀧しかいないと切望していた。「突然電話があって主演をやってくださいと言われた。俳優部で一緒にやってきた仲間の最初の監督作品。やるべきだと考えた」と瀧。脚本を読んで「この役なら」と思い、散骨業者という設定にも「興味がわいた」と語る。
この役なら、と思った理由を続ける。「真吾はヒーローではなく普通の人で、事態に巻き込まれていく。家族の物語であることにもひかれた」。そして「消去法ではなく『瀧さんで撮りたい』と僕を指名してくれて、とても光栄に感じた。やるべきじゃないですか」と小林監督を見てほほ笑んだ。
瀧はあくが強く、こわもてのイメージだが、と小林監督に振ってみた。「瀧さんをそういう目線では見ていない。資質や存在感はそれとは異なり、真吾には僕が思う瀧さんが似合う」。妻や娘、周囲への思いを背負っている役だ。小林監督は「瀧さんのままたたずんでくれれば、こちらでそう撮ります」と伝えたという。瀧は「黙っている時に感情が出るようにとは思わなかった。それをしたら、無言の演技が力みすぎになったのでは」と振り返った。
映画では、ジャーナリストが「散骨はやめてくれ」と懇願する殺人事件の被害者遺族と真吾とのやり取りを、SNSで拡散するエピソードがある。現在社会のゆがみが浮き彫りになる。小林監督は「加害者家族の話はぜひ入れたかった。いろいろな視座と選択肢を与えることで、正しさとは何か考えるきっかけにもなる」と話す。「SNSの中で、人が人を裁くという懲罰感情のようなものが、震災以降の10年で増殖している。現在地点での見え方、その構造の一部を表現した」
普通の生活、普通の交流のために「風化していい」
「震災を描きたかったわけではない」という言葉を2人は何度も口にした。小林監督は、撮影の前から何度も福島に足を運んだ。
「撮影に協力してくれた地元の人たちも、ごくごく普通に暮らしている。普通の生活の尊さを、肌感覚で味わった。東京から来た我々はタブーめいたことがあると考えがちだが、福島の人からはナーバスにならなくていいという反応を端々に感じた。さまざまなことを、諦めではなく許してきたのだろう。他人に対して厳しい時代だが、福島の人たちは我々を『映画を撮ってくれてありがとう、盛り上げてくれてありがとう』と受け入れてくれた。排除しない姿を可視化したいと思っている」
さらに小林監督は「震災が風化してもいい」という。その真意を聞いた。「福島に関わる中で、考えが変わっていった。『風化していい』と驚くほど多くの人が口にしていた。福島の人たちは、見えない線の上を歩かされてきたように思う。マスメディアも含め、日本全体が福島とそこに暮らす人たちをカテゴライズしてきた。もうやめてくれということではないか」
瀧も「忘れてはいけない教訓は絶対にある」としながらも、「震災直後からずっと、ニュース映像を見せられた人たちが『かわいそう』とか『助けられなくてごめんなさい』という意識を持って福島に行き人々と接した部分はあったと思う。哀れみや罪悪感ではなく、普通に交流することにつながるのなら、風化すべきだと実感した」。