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2023.6.29
亡き師匠に届け「お染久松」 浪花節を地で行く「絶唱浪曲ストーリー」:インタビュー
近年、じわりと人気を盛り返しているという浪曲の記録映画が誕生した。チンドン屋で20年以上のキャリアを持つ港家小そめ(本名・堀田祐子)が、ベテラン浪曲師の港家小柳(2018年5月死去)に弟子入りし、「名披露目(なびろめ)」という一本立ちを迎えるまでを追ったドキュメンタリー「絶唱浪曲ストーリー」だ。主人公である港家小そめと、約5年間カメラを回した川上アチカ監督に話を聞いた。
かつての大衆娯楽の花形 人気じわり
「待ってました」「名調子!」――。毎月1~7日に浪曲の定席口演が開かれる東京・浅草の「木馬亭」。6月の初日は平日とあって、大入りとは言いがたいが、常連客は出番が来た浪曲師を温かく迎える。
浪曲は、明治初期に始まった語り芸で浪花節ともいう。三味線を弾く曲師の伴奏に合わせ、浪曲師が登場人物の心情を歌う節と、啖呵(たんか)と呼ばれるせりふで構成され、一つの演目は30分程度。終戦間もないころは大衆娯楽の代表格だったが、テレビの普及などで人気は低迷していた。
小そめはこの日、「お染久松 悲恋の曲」を披露。大坂の大店(おおだな)の娘・お染と丁稚(でっち)・久松の心中事件を題材にし、歌舞伎や浄瑠璃などの定番となっている物語だ。浪曲は、原作を大幅にアレンジして悲劇でも「メデタシ、メデタシ」と後味を良くすることが多い。この日も序盤には客席からクスクスと笑い声が漏れたかと思えば、クライマックスでは額に汗をにじませた小そめの力強いうなりに大きな拍手が送られた。2人へのインタビューは同口演の直後に行った。
「絶唱浪曲ストーリー」の川上アチカ監督=井上知大撮影
女子美短大からチンドン屋へ 港家小そめ
小そめは、元々チンドン屋で生計を立てていた。女子美術短大を卒業後、知人の紹介をきっかけに「アルバイト感覚」で始めたものの、いつの間にか2代目瀧廼家五朗八親方に弟子入り。独立して「ちんどん月島宣伝社」を立ち上げ、今も浪曲師との「二刀流」で活動を続けている。入門当時、チンドン屋業界に若い人は珍しく、自分の親方や同業者たちの多くは昭和初期に生まれた世代だった。
「みんなすごく元気で、気性の荒い人も多かったけれど、建前ではない本気の関係性が私には居心地が良かった。『年寄りって意外と元気だな』なんて思って楽しく過ごしていたけれど、高齢なのでやはり死が訪れる。仕事の帰りに『じゃ、またね』と別れたと思ったら、その人の訃報が届く。『死』というものを私はチンドン屋に教わりました」
「絶唱浪曲ストーリー」©Passo Passo + Atiqa Kawakami
「あの世代の人たち」求めた浪曲界
チンドン屋の仕事は楽しいが、世代が変わってさみしさも感じていた。そんなときに演芸場で出会ったのが、港家小柳であり、浪曲界の人々だった。
「『私が慣れ親しんだあの世代の人たちがここにいた』という懐かしさもあって(浪曲の世界へ)入っていったところがある。でも、結局は同じことを繰り返している。ここでも大切な人の死に向き合わなければならなかったので」
映画「絶唱浪曲ストーリー」は、小そめと小柳を軸にした浪曲界の人間模様が描かれるが、「生と死」がもう一つのテーマでもある。川上監督は何を思いカメラを回したのか。
「絶唱浪曲ストーリー」©Passo Passo + Atiqa Kawakami
「ドキュメンタリーは業が深い」川上アチカ監督
「ドキュメンタリーは業の深い仕事だ」と川上監督は言う。人の人生を扱って物語を残す行為をしていると、「凶暴なカメラを使って人の人生を利用しているのではないか」との思いにさいなまれるのだ。
横浜市立大でエスニシティー(民族性)を学び、第二次世界大戦で強制収容所へ送られた経験を持つ日系アメリカ人2世と収容所跡地を訪ねた。その模様をカメラに記録した作品が「キリンアートアワード2001」で準優秀賞を受賞。映像の世界に憧憬(しょうけい)が芽生えた一方、怖さも感じた。長年、記憶の中から消し去っていた話を思い出させて語らせる作業の連続。「インタビューをする度に、その人を傷つけている」との感覚が強く、髪の毛がごっそり抜けるなど体を壊してしまうほどだった。
「木馬亭」で浪曲を語る港家小そめ=井上知大撮影
隣で話を聞くように
その後の数年は映像の仕事には関わらずに静養。体調が回復してからは、やはり映像に携わりたい気持ちが再燃し、音楽関係の映像制作やフィクション映画のプロデュースなどを手がけてきた。でも、長編ドキュメンタリーは今作が初めてだ。「ドキュメンタリーからはずっと逃げていた。最初の作品から20年以上たって、やっとここまできた」
小柳や小そめたち主要登場人物とカメラとの距離が近く、表情のアップを多用した。「友人の隣に座って話を聞いているような視点を意識した」と話す。
「絶唱浪曲ストーリー」©Passo Passo + Atiqa Kawakami
師匠・小柳の「これ、やればいいのに」
映画の前半では、生き生きと浪曲を披露していた小柳だったが、舞台での演目の途中で続きを忘れたり、声が出なくなって降板したりするうちに、持病の糖尿病を悪化させてしまう。
中でも、小そめが小柳の自宅へ見舞いに行くシーンが印象的だ。ベッドから起き上がれず衰弱していた小柳の部屋で見つけたカセットテープをラジカセで再生すると、数十年前に録音された、小柳自身による浪曲が流れてきた。
最初は無反応だった小柳だが、「ああ、『お染久松』だね」とタイトルを口にする。一瞬、師匠の顔が戻り、横たわりながらも左手でリズムをとってテープに聴き入った。そして、何度も小そめに「これ、やればいいのに」と促す。しかし、小そめ本人は「今はまだ……もう少し技術がついたら」と応じることしかできなかった。
東京・浅草の木馬亭=井上知大撮影
大切な人の死が成長させる
そして後半では、稽古(けいこ)をつけられなくなった小柳の代わりに、90代半ばの三味線曲師、玉川祐子ら多くの人に支えられ、小そめはいよいよ一本立ちの「名披露目」を迎える。テープを聴いたシーンが撮影されたのが2016年。それから7年がたち、小そめは今年6月1日の定席で「お染久松」を披露するまでになっていた。
「大切な人が亡くなることは悲しく、さみしいこと。でも、それによって残された人が大きな成長を遂げるという、生と死の循環も必然的なこと」と川上監督。高齢の玉川祐子曲師もまた、小そめの面倒を見るという役割によって奮起して元気づけられ、それを見ている周囲や常連客が温かく2人を見守り育てていく。
救い救われるカタルシス
川上監督は、そんな支え合いが繰り返される小さなコミュニティーを描いた。「映画を見て、『うまくいかないことがあっても大丈夫』『こういう人間関係のあり方もいいな』という気持ちになってもらえればうれしい」とほほえんだ。
一方の小そめは、「不遇な人も最後には誰かの手助けで救われるのが浪曲の物語。今つらい状況の人もそこにカタルシスを感じられる。私自身、かつて小柳師匠の節を聞いて気持ちが救われた」とした上で、「生の芸能が求められる今、若い世代にも興味を持ってもらいたい。浪曲の栄枯盛衰を知らないから意外と古くさいとすら思わないかも。私は、少しでも成長をして人の感情に訴えかける技術を磨いていきたい」と力を込めた。
「絶唱浪曲ストーリー」は7月1日公開。