「放射線を浴びたX年後Ⅲ サイレントフォールアウト」の伊東英朗監督

「放射線を浴びたX年後Ⅲ サイレントフォールアウト」の伊東英朗監督

2023.11.26

ゴジラ目覚めさせた米核実験 「米国内でも900回。核兵器廃絶へ議会動かしたい」

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

ひとしねま

松原由佳

1950~60年代に米国で行われた核実験は、米国内にどのような影響を与えたのか――。北米大陸における放射能汚染の問題を追ったドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後Ⅲ サイレントフォールアウト」が国内外で上映されている。伊東英朗監督は、太平洋上の水爆実験による放射能汚染の問題を長年報じてきた。米国の核実験は「ゴジラ」製作のきっかけにもなった。なぜ日本ではなく米国の放射能汚染がテーマなのか。

 
 

「放射線を浴びたX年後」第3弾

伊東監督は南海放送(愛媛県)のディレクターとして、米国が54年に太平洋・ビキニ環礁付近で行った水爆実験(ビキニ水爆実験)のその後を追うドキュメンタリー番組を制作し、大きな反響を呼んだ。2012年に「放射線を浴びたX年後」として映画化、14年には書籍化もされた。その後も取材を継続し、15年には「放射線を浴びたX年後2」を公開。「サイレントフォールアウト」はその第3弾にあたる。
 
映画が取りあげるのは、米国ネバダ州での核実験だ。核実験は51年から928回も行われ、うち大気圏内での核実験も100回に及ぶ。伊東監督は「米国は100回以上核兵器を投下された国。それに多くの米国民が気付いていない」と、放射能汚染の事実を知らせ、議論の機運を高めたいと考えた。


「放射線を浴びたX年後III サイレントフォールアウト 乳歯が語る大陸汚染」

米国各地を取材 4000ページの資料精査

18年から映画化を構想し、クラウドファンディングで約1700万円を調達。だが新型コロナウイルス禍に見舞われ、思うように米国取材ができず、22年にようやく渡米し、約1カ月半かけて取材。約4000ページの資料も精査した。
 
映画では、50~60年代に子どもたちを被ばくから守るため乳歯調査に取り組んだ女性たちに光を当て、核実験場近くで病気に苦しむ人々、科学者らの証言を集めた。核実験開始当時12歳だったユタ州セントジョージの80代女性は、突然まばゆい閃光(せんこう)が見えて、空全体が明るくなったという。牧場で牛や羊の世話をしていた兄は、やけどのような傷を負って帰宅すると、数週間後に髪の毛が抜け落ち、数年後にはすい臓がんと診断され、26歳で死去した。
 
また、大気圏内核実験を中止に追い込んだ「乳歯プロジェクト」も紹介している。ミズーリ州セントルイスの女性たちが、全米の牛乳が放射能で汚染されているといううわさを聞き、放射性物質のストロンチウム90がとどまりやすい乳歯の収集を呼びかけた。全米から集まった約32万本の乳歯を分析した結果、子どもたちの被ばくが裏付けられた。この結果はジョン・F・ケネディ大統領を動かし、63年、大気圏内核実験の中止が決まった。映画では、プロジェクトを主導した女性の息子や乳歯を提供した人々が、核実験やプロジェクトへの思いを語る。


米国が変われば世界が変わる

映画は日本語版と英語版が作られ、今春の完成直後から日本や米国各地で上映が続いている。映画を見た米国の人々は衝撃を受けた様子で、泣きながら「この問題をどうにかしなければ」と叫ぶ人もいたという。しかし映画は伊東監督にとって問題提起のきっかけに過ぎない。目指すのは、米国議会を動かすことだ。
 
「米国が核兵器の意味を改めて考えたら、世界中で核兵器の捉え方が変わると思っています。核兵器を作る過程で米国民が被ばく者になっていることが広く知られたら、多大な影響があるはずなんです。僕らが次の世代のために何ができるかが問われています」
 
伊東監督は21年に南海放送を退職、フリーとなってからも取材を続けている。その根底にあるのは「怒り」だ。「被ばくした人たちが苦しみを背負わされていることに強烈な怒りがある。どうにかしたい」と力強く語った。
 
「サイレントフォールアウト」は自主配給。日本での自主上映は無償で、寄付制。問い合わせは映画「サイレントフォールアウト」事務局(090・3842・2956、平日午前10時~午後6時、メールアドレスはxyears.info@gmail.com)。

ライター
ひとしねま

松原由佳

まつばら・ゆか 毎日新聞記者。1993年横浜市生まれ。初任地の高知県では、ビキニ水爆実験の被災者取材に取り組んだ。また、防災士として災害時要配慮者の取材にも注力。現在は東京本社学芸部で文芸の取材などを担当している。

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