漫画家の横山隆一=1954年(昭和29年)

漫画家の横山隆一=1954年(昭和29年)

2022.2.13

毎日映コンの軌跡⑭ 国産アニメ 「ふくすけ」教育文化映画賞に

「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。

“クールジャパン”の代表選手のようなアニメーションも、戦前からの長い歴史は苦難の道のりだった。毎日映画コンクールにも、その足跡が刻まれている。毎日映コンは第4回(1949年度)、「教育文化映画賞」を設立した時に「漫画、影絵」も対象とした。

国産アニメは、大正期に初めて作られた。アニメ製作は時間と金がかかり、映画館での上映も限られていた。それでも、アニメ作家たちは、厳しい環境の中でその可能性を追求した。49年は、子供向けの教育的、文化的短編アニメの製作本数が少しずつ増えてきた頃だ。

53年、独創的な手法のアニメを個人で製作していた大藤信郎による「くじら」が仏カンヌ国際映画祭で絶賛された。テレビ放送も開始されて発表の場が増え、56年、大手映画会社の一角、東映が「東映動画」を設立して本格的にアニメ製作に乗り出す。状況は変わり始め、恵まれない製作環境から米ハリウッドなどに後れを取っていた日本アニメも、次第に力を付けていく。

第12回で漫画家の横山隆一が演出を担当した短編「ふくすけ」が教育文化映画賞の一本に選ばれ、アニメ初の毎日映コン受賞作となった。頭の大きなかえるのふくすけと、父蛙を描いた作品だ。

横山は「おとぎプロ」を主宰し、アニメ製作に乗り出していた。作品は「奇抜な着想と豊かな感覚から生まれた色彩漫画でとかく不振だったこの分野に新しい道標をうちたてた」と評された。

続く第13回、東映動画による日本初の長編カラーアニメ「白蛇伝」が、その年に顕著な功績を残した人や作品に贈られる「特別賞」を受賞。アニメの作品性がようやく認められた。とはいえ、社会的にはまだまだ子供の娯楽扱いだった。

大藤信郎が61年死去し、毎日映コンは特別賞を贈る。これが「大藤信郎賞」創設のきっかけとなった。

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