©New Line Productions, Inc.

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2023.6.03

ひとシネマZ世代ライターが書いた「I am Sam アイ・アム・サム」のコラムを元キネ旬編集長が評価する

ひとシネマには多くのZ世代のライターが映画コラムを寄稿しています。その生き生きした文章が多くの方々に好評を得ています。そんな皆さんの腕をもっともっと上げてもらうため、元キネマ旬報編集長の関口裕子さんが時に優しく、時に厳しくアドバイスをするコーナーです。

関口裕子

関口裕子

古庄菜々夏

古庄菜々夏

大学生のひとシネマライター古庄菜々夏が書いた映画コラムを読んで、元キネマ旬報編集長・関口裕子さんがこうアドバイスをしました(コラムはアドバイスの後にあります)。
 

あらゆる立場に立って何回もこの映画を見返す

 
「人は誰しも誰かの母親や父親、子供であることを思い出させてくれる」。「I am Sam アイ・アム・サム」を見た古庄菜々夏さんが、一番に伝えたいと思ったのはこれだ。
 
古庄さんはそれを、いくつかのパートに分けて説明してくれた。
 
まずは、7歳ながら大人の会話を理解し、父親を気づかうサムの娘ルーシーのパート。次に、弁護士としてサムを支えながらも仕事に忙殺されて子どもや夫とうまくいっていないリタのパート。そして、父親との軋轢(あつれき)によって外出恐怖症になった隣人アニーのパート。
 
それぞれのシーンから、人生には明解な「正解」はないのだと、教えられたと語る。彼女がいうように「あらゆる立場に立って何回もこの映画を見返」すと、また新しい発見がありそうだ。
 
ただ、さまざまな立場から書くことを意識しすぎたために、テーマがやや分かりにくくなってしまったかもしれない。少し欲張りすぎたかなと思ったら、次回の原稿に回すのもありかも。

古庄のコラム

生まれた時から知的障害を持つサムは、その日もいつものようにスターバックスで働いていた。サムは同僚から時間だと促され、スターバックスのエプロンと劇中のポップな音楽と共に街中を駆け抜け、とある病院へと向かう。まもなくしてサムの子供が生まれるが母親はその子を抱かないままサムの元から消えてしまう。サムはその子をルーシーと名付け、慣れない子育てに挑戦するがそんな劇的なサムの一日でこの映画は幕を開ける。
 

ただ愛する父と暮らしたい

サムの愛娘、ルーシー役を演じたのは当時7歳のダコタ・ファニングだ。ルーシーは7歳にして周りの人々とはどこか違う父親を理解し愛している。ルーシーがサムにとって欠かせない存在であるように、彼女の表現力はこの映画にとって欠かせないものだと感じた。個人的に感心したシーンの一つに、ルーシーがたくさんの大人に囲まれながら父親についての証言をする場面がある。先日、誕生日を迎えたことについて、「ワクワクするね」と聞かれて、「一つ年をとっただけよ」と答える。言うなれば子供離れした回答だ。悲しい子供だととらえることもできるかもしれないが私にはそう見えなかった。ただ愛する父と暮らしたいがために証言をしている、子供ながらにすべてを理解しているような、心の奥に冷静な魂胆が垣間見える、なんて賢い子供だと感心した。そして、その人物像はダコタ・ファニングだったからこそ成り立ったのではないかと映画を通して感じた。
 

人は誰しも誰かの母親や父親、子供

私がこの映画を見て一番に伝えたいと思ったシーンがある。それは裁判所のシーンだ。この映画にはサムとルーシーに限らず「親子」が多数登場するのだが、それらが作品後半で語られるのはこの映画の醍醐味(だいごみ)といえる。まず、サムを弁護士として支えるリタだ。キャリアウーマンとして華やかなキャリアを積んでいるように見える彼女だが、私生活では仕事に忙殺されて子供や夫とうまくいっていない描写が何度も出てくる。劇中でリタが、サムに子供への自己欺瞞(ぎまん)を吐露する場面は、2人の関係性の変化が見えるシーンでもある。話を戻すと、裁判所で彼女はサムについて否定的に証言する医者に対して、弁護士としてではなく一人の母親として問いかける。それに医者も思わず母親として自分の言動を見つめ直す。人は誰しも誰かの母親や父親、子供であることを思い出させてくれる、そんなシーンである。
 

親とは?

次にサムの隣人アニーだ。彼女は現在外出恐怖症に苦しんでいるのだが、その根底には主に父親との関係が絡んでいる。親は子供を選べないと言うが、その言葉がマイナスに聞こえることが多いと感じるのはアニーのような人々が少なからず存在することにあるのだと思う。今現在「親ガチャ」というネットスラングから普及した言葉も浸透しており、辞書でも紹介されるまでとなった。所得の違いで暮らしの程度も変われば、家に帰ると虐待に耐える日々を送るような子供も残念ながら存在する。子供は何も悪くないのに。このように、裁判所に集まる人々だけでも「親とは? 」と考えたくなる。私自身で言うと、まだ誰の親でもないが子供として生きてきた身としてこの問いについて考えることは非常に意味があると感じた。私は現在1人暮らしをしているが、実家にいる頃から、父と母のもとに生まれてくることができて本当に幸せだと感じている。そう感じていることを両親にも伝えているつもりだ。いつでも味方でいてくれて無償の愛を与えてくれる、私にとって唯一無二の存在だ。だが、誰しもがそう思っている、思えるわけではないことも知っている。
 

引き離される事の重大さ

少し劇中の話に戻るが、2000年代初めは今ほど携帯電話などの連絡手段も発達していないため、サムがルーシーと引き離される事の重大さも現代とは少なからず違うはずだ。だからこそ同世代にも勧めたい映画だと思った。
 
この映画「アイ・アム・サム」には、物語の視点としてその時々の善悪はあるかもしれないが、だれが悪で誰が正しいかなんて誰も決められない。それぞれの生きてきた環境、信条、立場があり、それらが社会でミックスされている。そんな当たり前のようで奇跡のような世界の、いわばひずみを見事に描いた映画だ。子供、親、第三者。
 
初めて見たときはどの立場でこの物語を見たらよいのかずっと分からず、あらゆる立場に立って何回もこの映画を見返した。でも結局、正解などない、と、この映画は教えてくれている気がした。

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ライター
関口裕子

関口裕子

せきぐちゆうこ 東京学芸大学卒業。1987年株式会社寺島デザイン研究所入社。90年株式会社キネマ旬報社に入社。2000年に取締役編集長に就任。2007年米エンタテインメント業界紙VARIETYの日本版「バラエティ・ジャパン」編集長に。09年10月株式会社アヴァンティ・プラス設立。19年フリーに。

ライター
古庄菜々夏

古庄菜々夏

ふるしょう・ななか
2003年7月25日生まれ。福岡県出身。高校の時に学生だけで撮影した「今日も明日も負け犬。」(西山夏実監督)に主演し「高校生のためのeiga worldcup2021」 最優秀作品賞、最優秀女子演技賞を授賞。All American High school Film Festival 2022(全米国際映画祭2022)に参加。現在は東京の大学に通いながら俳優を目指す。

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