誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2023.10.11
キリエ(アイナ・ジ・エンド)は明日にでも死にそうで、イッコ(広瀬すず)はぽっくり死にそう! ホームビデオを見ている時のような温かさ「キリエのうた」
見終わった余韻で考えたことといえば、わたしの守りたいもののことだった。これは、優しい人の内に秘められている「キリエ」の部分をグサグサと突き刺してくるような映画である。
あらすじ
路上ミュージシャンとして生きるキリエと、キリエのマネジャーになる、といきなり路上で話しかけたイッコ。キリエの歌手活動を成功させるために、二人で奮闘する生活が始まるが、突如姿を消すイッコ。お互いに守りたいものを守り抜くために、社会のどうしようもない境遇から抜け出していく。
人物構造と若い世代で騒がれるMBTI診断
突然変なことを言い出すけど、楽しそうに軽やかに生き、不思議なオーラを放つ女の子に誰しも憧れたことがあるだろう。自分だけの世界観。ブレない判断軸。一人でどこへでも行けてしまう。主人公キリエのマネジャーであるイッコはまさにそんな女の子。対してキリエは、陰のオーラをまとい、優柔不断で、常に不安を抱えていて人前でしゃべることができない。歌声でしか自分を表現できないというコンプレックスを持つ。
このように対照的な人物構造は映画でよく見られるし、私生活においても、友達になりやすいのは自分に持っていないものを持つ者同士だったりする。ちなみに今、若い世代ではやっているMBTI診断というものがあるが、これは心理テストのようなもので、「注目の的となることが気にならない」「他人に自分の行動についてあれこれ言わせない」などの性格に関する質問にどのくらい当てはまるかを答えていき、最終的に下された診断結果から、自分の性質だけでなく相性の良い人や悪い人の系統までわかる。診断結果は全部で16タイプあり、「ESFJ(領事官)」や「ENFP(広報運動家)」などの必ず英字が四つ連なる診断結果の中から自分に適性なタイプがわかる。最近はSNSのプロフィル欄や、アイドルオーディションの自己紹介にも従来の血液型や年齢を書くように、このMBTIの診断結果が書かれているのを見かける。
このMBTI診断、質問項目の多さや、診断結果の精密さから全世界で絶大な支持を受けているのだがキリエとイッコも、MBTIで相性の良い者同士なのだろう。「没入感がない」「人物像が見えてこない」と何度も突き返されている私の書く脚本にもこのMBTI 診断、生かせそうだ。
明日にでも死にそうなキリエとぽっくり死にそうなイッコ
キリエとイッコは、お互いに性格が相反するように思えるが、二人に唯一共通しているのははかなさの部分。とはいっても、はかなさの性質も違っているのだが。
キリエは歌うことで魂を一日一日削っている。暴走癖のあるイッコは、突然姿を消すこともあり、1回の魂の削り方が大きい。キリエは明日にでも死にそうで、イッコはぽっくり死にそうなのだ。
二人の詳しい生い立ちは原作本に描かれているが、二人とも過酷な家庭環境から抜け出してきた人間である。そんな境遇に身をおいていた二人は、生きる、いや生き抜くことへの執着が末恐ろしい。それはまるで、命の限りを誰かに教えたたき込まれたかのよう。
心や魂を削りながら生きるかき氷のような二人は、常に今日限りの命と思いながら生きていて、お互いに依存し合っているような関係にも見えるのが印象的だ。
生活と宗教の密接さ
しかし、キリエの依存先は他にもある。それが、「宗教」。キリエが鬼気迫った顔で、倒れた父の遺影を起こした直後に近くで同じように倒れていた十字架のオブジェを起こすシーンが登場する。どうしようもなくなった状況で祈る矛先が亡き父親の次にキリスト教であるところに、彼女の生活と宗教とのつながりの強さが表れている。祈り、キリエ、などキリスト教にまつわる描写が多いこの作品。どうやら岩井俊二監督特有らしい。
もちろん、宗教の違いによって人と人とがねじれの位置に置かれる場面も登場する。宗教が人々の依存先にもなっているということが、世界規模で起こる宗教対立の縮図のようにも思える。
守りたいものが違う人たち
映画を見終わった後に考えたことは、自分にとっての守りたいものだった。登場人物それぞれに守りたいものがあり、それが互いに異なっているからこその対立がストーリーの歯がゆさを生んでいる。
近ごろの私は小さいもの、かわいいものを見ると苦しくなる。守りたいものはないけれど、それらに関してはどうか潰されないようにあってほしいと思う。そして、優しいと言われる人はどうか他人以上に自分に優しくあってほしいと思っている。人に優しくする人は、自分に優しくすること、つまり我慢しないことを忘れがちだからだ。キリエはまさにそんな女の子で、人が話そうとする息の音が聞こえれば、しゃべるのをやめてしまう。そのせいで次第に意思なく淘汰(とうた)されてしまうキリエ。正直、彼女を見ていると自分を見ているみたいで苦しくなる。私も自分のことを話すつもりが人の話を聞いて時間がすぎてしまうことがよくあるからだ。言いたいことがすんなり言えないからだ。
誰にでもいい顔をすることで心をすり減らす、そんな優しすぎると言われる人だれもが持つ「キリエ」の部分。映画が進む途中で、あなたはもしかしたらその「キリエ」の部分を突かれる気持ちになるかもしれない。しかしその分、キリエのような優しい人間に人一倍寄り添えるだろう。優しすぎる人の「キリエ」の部分を突き刺しながらも肯定してくれるこの映画を私は心の処方箋にしておきたい。
岩井俊二カメラでのぞく映画のホームビデオ感
今回、ここまで人物の内面や細かい動作に迫れたのは岩井監督の手持ちカメラによる映像が大きく影響しているからではないだろうか。彼の持つカメラで追われる演者を見ていると、作品に入り込む感覚というより、第三者的目線で人物を見守っているような気持ちになる。それはまるで、ホームビデオを見ている時のような温かさだ。
彼の映像を眺めていると、「作品を見たあなたたちも誰かに見守られていてほしい」そんなメッセージがうかがえる。
映画は誰かと見ることで共感し合えたりするが、この作品に限ってはおひとりさまの観客も温かく迎え入れてくれるに違いない。たまたま一人の時間ができたとき、人と関わることに疲れてちょっぴり一人の時間が欲しくなったとき、「キリエのうた」を見に行ってみてはどうだろうか。
13日全国公開。