「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.14
毎日映コンの軌跡⑩ 映画と結婚した大女優の遺産 第1回田中絹代賞に吉永小百合
1978年3月21日付の毎日新聞社会面に「田中絹代さん きょう一周忌 宙に浮く“大いなる遺産”」との見出しの記事がある。毎日映コンで女優賞を最多受賞した大女優、田中絹代は前年、67歳で亡くなっていた。「映画と結婚した」と称した田中は生涯独身で身よりも見つからず、神奈川・油壺の別荘など総計1億円ほどの遺産の相続先がないというのだ。遺産を管理していたのは田中の遠縁に当たる映画監督の小林正樹で、遺産の有効活用法として「『田中絹代賞』を設けるとか」と語っていた。
この時はまだ具体的な動きはなかったものの、その後、毎日映コン関係者と小林らの間で賞の設立が話題に上る。小林が病に倒れた85年、小林と親しかったプロデューサーで、毎日映コン運営委員だった佐藤正之が田中絹代賞創設を提案した。ちょうど毎日映コンは40回を迎えることもあり、運営委は満場一致で採択した。
賞の対象者について小林と相談し、「偉大な女優を継ぐ可能性のある有望な女優」とすることが決定。選考では、吉永小百合▽岩下志麻▽倍賞千恵子▽十朱幸代――ら10人ほどが挙がる。さらには、現役女優▽映画が中心▽人気と実績――といった選考基準が挙げられ、最初の受賞者として吉永が選ばれた。吉永はデビュー間もない頃に「光る海」(63年)で田中と共演。映画評論家の双葉十三郎は「映画女優として大成しつつあり、今後の活躍も期待される。第1回受賞に最もふさわしい」と評した。
歴代受賞者には香川京子、久我美子、淡島千景、倍賞千恵子、美津子姉妹ら、日本を代表する映画女優が名を連ねる。賞金はないものの副賞として、田中の故郷、山口県下関市からふぐ、うに、くじらの詰め合わせなどが贈られている。