第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。
2022.7.11
沖縄戦を二度演じた女優・香川京子が語る「使命感」と「戦争はダメ」
「島守の塔」のラストシーン、香川京子が演じる現代の比嘉凜は、島守の塔の前で手を合わせる。香川は終戦を中学生で迎え、映画界入りして間もなく「ひめゆりの塔」に出演し、沖縄戦のさなかで辛酸をなめる女子学生役を演じた。戦争を知り沖縄との縁もあることから「私がやらなくちゃいけない」と役を受け、「戦争はダメ」と強い口調で繰り返すのである。
実体験や女優業、執筆活動を結びつけながら語り続ける
沖縄県に建つ慰霊碑「ひめゆりの塔」を一躍有名にした、1953年の映画「ひめゆりの塔」は、沖縄戦で看護師として前線に立たされた女子学生「ひめゆり学徒」を描いた実話。多くの人が命を落とした過酷で凄惨(せいさん)な現実を、今井正監督が映画化した。香川は同作に、ひめゆり学徒の一人、上原文役で出演。敗色濃厚な沖縄のガマに急ごしらえされた野戦病院で、瀕死(ひんし)の兵隊たちを必死で看護する場面など、「島守の塔」と同様の場面が描かれている。
「ひめゆり学徒は私と同世代。戦争中もその後も、沖縄の悲惨な出来事を日本の人たちは知らされてなかったんですよね。今井監督は、そのことを日本中の人に知ってもらいたいという気持ちで撮って、出演者にも使命感がありました」。製作側も観客にも、戦争の記憶が生々しく残っていた時代。あの悲劇を二度と繰り返すまいという思いと重なり、映画は大ヒットした。
映画をきっかけにひめゆり学徒の生存者と交流し、自身の戦争体験と沖縄への思いをつづったエッセー「ひめゆりたちの祈り 沖縄のメッセージ」(朝日文庫)を出版。沖縄戦を描いた映画やドラマにも出演するなど関わりを持ち、機会あるごとに「戦争は絶対ダメ」と言い続けている。
「私がやらなくちゃ」固い決意とつらい涙で演じた凜役
「『ひめゆりの塔』はデビューして間もなくでした。半世紀以上たってまた沖縄戦の映画に出演するとは、思いもしませんでした。でも、ひめゆり学徒の方たちを知っている私がやらなくちゃいけないなと、お受けしたんです。脚本を読みながら『ひめゆりの塔』を思い出しました。野戦病院の中とか兵隊さんとのやり取りとか。ああこういうことがあったなって、後半は、懐かしさとつらさで涙が出ました」
映画の凜は、戦後長い時間を経た後に、塔を訪ねた。「長官、私、生きましたよ」と言って手を合わせる。短いが、戦争と現代をつなぐ印象的な場面だ。
「初めて塔を訪ねるんですかって、監督さんにお聞きしたんです。もっと早く来ることもできたんだろうけど、いろいろ事情もあったでしょうし、行くのがつらいという気持ちもあったでしょう。やっと、思い切って一人で行くことができた。そして長官とお話しするような感じで、お参りしてるわけです。長官の言った通り生きましたと、ちょっと怒った気持ちもあって。長官は塔で眠っているわけじゃない、どこに行ったか分からない。やっぱり悲しい思いですよね」
「戦争が急に近くなった」今こそ、愚かさを知ってほしい
自身の、沖縄への思いも重なっている。「生まれたところでもないけれど、ひめゆりの方たちを含めてすごく大きなものを残してくれた。今回も、お二人も含めた沖縄の人たちに、どうもありがとうという気持ちです。みんなが二度とひどい目に遭わないようにと、祈るばかりです」
沖縄返還から50年がたってもなお基地問題で揺れ、ウクライナでの戦争が続いている中での公開となった。「ひめゆりの塔」が作られた当時の、反戦と平和への強い祈りも薄れているように見える。
「もう戦争はないだろうという気持ちでいましたけど、急にね、戦争が近くなってきたようで、とっても怖いんです」。昨今の物言いで気になっていることがある。「『敵』って言うでしょ。敵ってどこ、何って思う。敵がいるってことは、戦争するつもりっていうことですよね。戦争はダメですよ。だって殺し合いだもの。何も悪いことしてない人が、子どもたちが死ぬのはいやです。戦争の恐ろしさ、いかにバカバカしいかを知ってほしい。戦争はダメ、そう思って見てくださるといいですね」