「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」より

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」より©︎2025 MARVEL.

2025.2.14

日米開戦を止めろ!「キャプテン・アメリカ:BNW」が示した持たざるヒーローの在り方

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筆者:

SYO

SYO

洋画の復権が期待される2025年の映画界。「ジュラシック・ワールド」「アバター」「ズートピア」等々ヒットシリーズの新作が並んでいるが、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の新作ラッシュもトピックの一つだ。

2月14日公開の映画「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」を皮切りに、ドラマ「デアデビル:ボーン・アゲイン」(3月5日よりディズニープラスで配信)、映画「サンダーボルツ*」(5月2日公開)、「ファンタスティック4:ファースト・ステップ」(夏公開)と続く。本稿ではその第1弾である「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」の内容を《微ネタバレあり》で紹介したい。


初代から指名された2代目キャプテン・アメリカ

まずは、前提をおさらいしよう。本作の主人公は、初代キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース(クリス・エバンス)から後継者に指名されたサム・ウィルソン(アンソニー・マッキー)。元々はスティーブの良き理解者であり、頼もしい相棒でもあった。超人血清によってスーパーパワーを手にしたスティーブとは異なり生身の人間だが、特殊なスーツを着て自由に空を舞える機動力を駆使し、弱者に寄り添う慈愛の心を携えて葛藤の末に次代のキャプテン・アメリカを襲名した(詳細はドラマ「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」で言及される)。

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」はその続きの物語となり、「ファルコン~」の約2年後に発生した事件が描かれる。アメリカ大統領のロス(ハリソン・フォード)がホワイトハウスで銃撃される暗殺未遂事件が発生。容疑者の一人はサムの友人で、元超人兵士イザイア(カール・ランブリー)だった……。彼の汚名をすすぐべく動き出すサムだったが、黒幕に近づくほどに事態が大きくなり、ついには日米の海上戦が始まってしまう――。

MCUの中でも「キャプテン・アメリカ」シリーズは、ポリティカル・サスペンスの要素が強み。第2作「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」は政府内に裏切り者がいたら?というシリアスな物語が展開し、第3作「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、アベンジャーズが強大になりすぎたために国連で管理する案が持ち上がり、正義を自由に行えなくなったことで仲間割れが勃発する。

そして「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」では、キャプテン・アメリカという平和の象徴の不在、そして最強の敵サノスによる「全生命の半分を消失させる」計画をアベンジャーズが5年かけて復活させるも(「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」「アベンジャーズ/エンドゲーム」)、被害の余波はいまだ続き、差別・分断が加速する世界の混乱を描く。

5年ぶりに復活した人々は難民になっていたり、生活苦を強いられ、公的機関が救済を行えばこの5年生き延びてきた人々は「不公平だ」と糾弾する。国が擁立した2代目キャプテン・アメリカは暴走して殺人を犯してしまい解任され、サムは米国内で黒人が受けてきた迫害の歴史を今一度たどりながら、いまなお注がれる蔑視を一身に背負ってそれでもキャプテン・アメリカを継ごうとする。ヒーロー映画の文脈に現代の世相や社会問題をいかんなく混ぜ込み、アメリカの負の面をあぶり出す物語が展開してきた。


ポリティカルなメッセージも健在

「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」で新生ヒーローの誕生までを描き、満を持しての「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」でサム=新たなキャプテン・アメリカの活躍を活写する本作。これまでの作品に比べるとシリアスな部分は抑えられているが、それでもポリティカル要素は健在だ。

新たな鉱物(詳細は「エターナルズ」を参照)の所有権をめぐって各国がにらみを利かせるなか、「共生」を掲げるロス大統領は一国が独占しないように世界条約の締結に動く。しかし彼に恨みを持つ人物の差し金でキーマンだった日本が態度を硬化。マインドコントロールの技術を有した黒幕は兵士たちを次々に操り、ついにはアメリカと日本による海戦が勃発する。

資源の保有が戦争の引き金になることは現実とオーバーラップするし、大統領の暗い過去を掘り下げながらリーダーの資質&やり直しを認めない社会を問うメッセージ性(と同時に、高齢者が一国を率いることへのシニカルな目線も内包)、日本の首相・尾崎(平岳大)が言う「貴国は暴力での交渉が得意技」的なニュアンスのセリフに裏工作・世論の誘導など、娯楽大作の文脈の中に自国批判ともとれる内省的なエッセンスを忍ばせている。

ただ、先にも述べたように本作は新生キャプテン・アメリカの記念すべき初陣でもあり、サムの内面にスポットがより当たっている。注目すべきは、その〝弱さ〟だ。彼は戦闘のプロであり、先代から受け継いだ盾や翼のついたスーツを使いこなしている。

しかし彼自身に初代キャップやスパイダーマンのような特殊能力はなく、アイアンマンやハルクのように科学の天才でもない。ほぼ全ての戦闘で苦戦を強いられ、殴られ蹴られ刺され、血を流しながらも戦う姿が映し出されてゆく。シンボルでありアイコニックな存在だったスティーブとは対照的だ。

そして本人がどれだけ奮闘しても事態は拡大し、もはや個人では手に負えない状況にまで陥ったことで「自分にスーパーパワーがあれば被害は食い止められた。人選ミスだ」と苦悩する。いわば映画的な切った張ったの快感を損なわせてまで、確信犯的にサムが〝ただの人〟であることを伝え続けてくるのだ(スーツを着ない生身の戦闘も実に多く、これらは意図的なものであろう)。

しかし、だからといってサムがキャプテン・アメリカにふさわしくないわけでは決してない。超人ではないからこそ市民の心がわかり、たゆまぬ努力をし続けるサムの姿こそ、英雄的なのだ。それでも完璧を求めて悩める彼に、ある人物がこう声をかける。「スティーブは希望だったが、お前は目標になれる」と。

そして後輩であり新たな相棒のホアキン(ダニー・ラミレス)は「あんたの決して諦めないところに憧れた」と語る。実際、持たざる者であるサムはどんな相手でもまずは交渉や説得を試みて拳を下げさせようとする人物であり、敵対する人物や反対意見であってもまずは聞く耳を持とうとする。

「互いのいいところを見つけられなければ既に負けだ」とのセリフ通り、暴力より対話を重んじる〝心を信じる〟ヒーローなのだ。高潔な人物であり、理想の体現者でもあった先代と、痛みを受け入れ、隣にいてくれる当代。

力を持つことのひずみを突いてきた「キャプテン・アメリカ」シリーズが向かう先に〝弱体化と引き換えの融和〟が在ったのは、必然といえるかもしれない。そしてその姿は、超人化する前のスティーブにも重なる。力を有するか否か。選んだ道こそ違えど、サム・ウィルソンは正しくキャプテン・アメリカのわだちを行く者なのだ。

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」は全国公開中。

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