ロシアとの激しい戦闘が続くウクライナ。ニュースでは毎日、町が破壊されていく様子が映されています。映画は無力かもしれませんが、映画を通してウクライナを知り、人々に思いをはせることならできるはず。「ひとシネマ」流、映画で知るウクライナ。
2023.4.13
ウクライナ戦争の悲惨さを象徴 侵略と改名の歴史 「マリウポリ 7日間の記録」
ドキュメンタリー映画「マリウポリ 7日間の記録」は2022年3月、ロシアのウクライナ侵攻が始まった直後の、ウクライナ東部・ドンバス地方にある港湾都市マリウポリを記録している。マンタス・クベダラビチウス監督は侵攻直後に現地入りしたが、同30日、親露派に拘束され、殺害された。残された撮影素材を元に、製作チームが完成させたのがこの映画である。背景にある、マリウポリとロシアの歴史的、地政学的関係について、元モスクワ特派員の田中洋之記者に解説してもらった。
戦禍にさらされた歴史
「マリウポリ 7日間の記録」の舞台であるウクライナ南東部のマリウポリは、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻で徹底的に破壊された末、ロシアが占領した。23年3月にはプーチン露大統領がマリウポリを訪れ、ロシアの支配下にあることをアピールした。
ロシア軍による住民の大量虐殺が起きた首都キーウ(キエフ)近郊のブチャと並び、ウクライナ戦争の悲惨さを象徴する場所となったマリウポリ。映画をより理解するため、これまで何度も戦禍にさらされてきた歴史をふりかえってみよう。
ドネツク州南部のマリウポリは、アゾフ海に面する風光明媚(めいび)な港湾都市だ。周辺で産出される豊富な石炭や鉄鉱石を使った製鉄業など重工業で栄えてきた。ドネツク州とルガンスク州からなるドンバス地方やクリミア半島などウクライナ南部は18世紀半ば、ロシア帝国に併合された。最初にマリウポリが形作られたのもそのころになる。
エカテリーナ2世皇太子の妻に由来
地名の由来は諸説あるが、当時の女帝エカテリーナ2世が皇太子(のちの皇帝パーベル1世)の妻マリアにちなんで名付けたとされる。「ポリ」はギリシャ語の「ポリス(都市)」で、「マリアの都市」という意味だ。
マリウポリのようにウクライナ南部にはセバストポリ、シンフェロポリ、メリトポリなど「ポリ」の付いた地名が多い。黒海やアゾフ海の沿岸は古来、ギリシャ人が入植しており、ロシア帝国は征服した場所にギリシャ風の「ポリ」を地名につけたとされる。エカテリーナ2世はクリミアに住んでいたギリシャ人をマリウポリに移住させたため、現在もギリシャ系の少数民族がいる。
マリウポリが最初に戦場となったのはクリミア戦争(1853~56年)だ。ロシアの南下を阻止しようとする英仏艦隊がアゾフ海に入り、艦砲射撃や上陸部隊の攻撃で港の倉庫や市の一部が破壊された。1917年にロシア革命が起きると、革命側の赤軍と反革命の白軍による内戦がマリウポリでも繰り広げられた。
ナチス・ドイツ占領も
さらに第二次世界大戦ではナチス・ドイツ軍が約2年間にわたりマリウポリを占拠した。その間、ドイツ軍は約1万人の住民を殺害し、子供ら約5万人をドイツに連行。ドイツの捕虜となったソ連兵の収容所では約3万6000人が飢えと病気で死亡したという。
戦後に復興したマリウポリは48年、地元出身でソ連共産党幹部のアンドレイ・ジダーノフの死去に伴い、「ジダーノフ」と改名された。ジダーノフは独裁者スターリンの側近として文化人や知識人の抑圧に加担し、一時はスターリンの後継者と目されたこともあった。
ただ、悪名高き政治家に由来する地名は半世紀で消えることになる。ゴルバチョフ共産党書記長によるペレストロイカ(改革)で民主化が進むと、住民の要請で89年に元のマリウポリに戻された。
ロシアが併合を宣言
ソ連崩壊とウクライナ独立後のマリウポリに再び暗雲が垂れ込めたのは2014年だ。ウクライナで親露派のヤヌコビッチ政権を追放した「マイダン革命」が起きると、ロシアのプーチン政権はクリミアを一方的に併合。ドネツク、ルガンスク両州でもロシアの支援を得た親露派武装勢力が蜂起し、マリウポリも支配下に収めた。その後ウクライナ政府軍がマリウポリを奪還したが、両州の大部分を親露派勢力が実効支配する状況となった。
その8年後。ロシア軍はウクライナ侵攻の重要目標の一つとしてマリウポリになだれ込んだ。産婦人科や小児科がある病院が爆撃され、1000人以上が避難していた劇場にミサイルが命中し、多くの犠牲が出た。多数の子どもたちがロシアに連行されたとも伝えられる。
ロシア軍がマリウポリを包囲するなか、ウクライナ側は内務省直轄の軍事組織「アゾフ大隊」がアゾフスターリ製鉄所の地下に立てこもって抗戦したが、最後はロシア軍に明け渡し、マリウポリは完全制圧された。ドネツク州などウクライナ4州は〝住民投票〟を経て、ロシアが併合を宣言した。
侵略下の市民に寄り添い
本作のマンタス・クベダラビチウス監督は16年にマリウポリを訪れ、市民の日常生活をとらえた映画「Mariupolis(マリウポリ)」(日本未公開)を製作していた。監督はロシアのウクライナ侵攻に胸を痛め、「マリウポリで撮影しなければならない」とリトアニアからポーランド経由で現地に入った。
本作は軍事侵略にさらされた人々に寄り添った貴重な映像記録となっている。クベダラビチウス監督は取材中に親露派勢力によって殺害されたが、その遺志を継いで製作チームが完成させた本作の原題は「Mariupolis 2」で、続編の意味が込められている。
M・クヴェダラヴィチウス監督「マリウポリ 7日間の記録」
出口見えぬ戦争 進むロシア化
ウクライナが奪還したブチャと異なり、マリウポリは1年以上もロシアの占領下にあり、社会や経済などあらゆる面で「ロシア化」が進められている。ウクライナは「すべての領土を取り戻す」と攻勢を強めるが、ロシア側は本土とクリミアをつなぐ回廊の要所にあるマリウポリを死守する構えだ。
戦争の出口が見えないなか、本作に登場するマリウポリの住民たちは現在どうしているのか、そしてこの先どうなるのか。それを最も撮影したかったであろうクベダラビチウス監督が戦争の犠牲となったのは残念でならない。