西田敏行=2012年

西田敏行=2012年手塚耕一郎撮影

2024.10.18

追悼・西田敏行「セリフは台本より生理から出てくる」 「釣りバカ」セットで目撃したアドリブの至芸

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勝田友巳

勝田友巳

西田敏行といえば……に続く代表作は人によって違い、そのどれも納得がいってしまうのではないか。ドラマ「池中玄太80キロ」、NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」、いや大河なら「八代将軍 吉宗」か。「探偵!ナイトスクープ」の涙もろい2代目局長。映画では「植村直己物語」「釣りバカ日誌」。朗々たるテノール歌手……。まだまだある。優れたコメディアンにして性格俳優であり、巧みな話芸の持ち主で、ヒット歌手。テレビ、映画、舞台といったスポットライトの中だけでなく、オフステージでも精力的。多芸ぶりは類を見なかった。

愛嬌ある風貌、福島なまり……

早くから演技を志し、中学卒業後に福島県から上京。大学は早々に中退し、青年座に入団して間もない1971年には「写楽考」で主演。テレビに進出すると、愛嬌(あいきょう)のある風貌に福島なまりもあいまった親しみやすい雰囲気で人気者となった。ドラマ「池中玄太80キロ」では、3人の娘を一人で育てる、一本気で情に厚く涙もろい通信社のカメラマンを演じ、イメージが広く浸透した。

一方で、映画「植村直己物語」(86年)や「敦煌」(88年)では極地に向かう硬骨漢をたくましく演じたし、NHK大河ドラマでは「翔ぶが如く」(90年)で西郷隆盛、「八代将軍 吉宗」(95年)では徳川吉宗と、歴史上の人物を風格と人間味を合わせて造形してみせた。

山田洋次監督の「学校」(93年)で演じた夜間中学教師は、問題を抱える生徒たちと体当たりでぶつかる、人情家の熱血漢。毎日映画コンクール・男優主演賞を受賞した「ゲロッパ!」(2003年)では、ソウル歌手のジェームズ・ブラウンの大ファンで涙もろいヤクザの親分。劇中で歌って踊る活躍だった。どの役でも笑いと涙、深刻さをたくみに配分し、人間味と真実味のある、魅力的な人物となった。主演でも脇に回っても、優れた演技で作品を支えた。

アドリブ応酬で作品に活気

映画「釣りバカ日誌」シリーズは、釣りと家族をこよなく愛する万年ヒラ社員のハマちゃんを演じ、88年の第1作から特別編を含め22作が作られた。三国連太郎が演じた勤務先の社長で釣りの弟子、スーさんと丁々発止のやりとりをしながら、窮屈なサラリーマン社会に風穴を開ける大活躍。軽妙で時にしんみりさせるコンビの生き生きとしたやりとりは、アドリブ合戦が生み出した。

その撮影現場を、何度か取材した。03年の「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!」は、撮影直前に心筋梗塞(こうそく)で倒れた西田の復帰作。西田は元気な姿で現れ「現場が一番のクスリ。自分はハマちゃんを生きていると実感します」と元気に語っていた。朝原雄三監督は初登板で、三国連太郎も交えて3人でアイデアを出し合っていたが「撮影はジャムセッション」と2人のアドリブにお任せ。西田も「セリフも台本ではなく、生理から出てくる」とノリノリだった。


「釣りバカ日誌20ファイナル」の撮影現場で、出番を終えた鯉太郎役の持丸加賀(右)に、両親役の西田敏行(左)と浅田美代子(中央)が感謝状を渡した=東宝スタジオで2009年6月

ジャック・レモンのような芝居を目指したい

09年のシリーズ最終作「釣りバカ日誌20 ファイナル」は、東京都世田谷区の東宝スタジオで取材した。連続登板でこれが7作目の朝原監督ともすっかり息が合っていた。浜崎家にスーさんが訪ねてきた場面。ハマちゃんと妻みち子、息子の鯉太郎、隣家の八郎とにぎやかなひとときを過ごした後、スーさんが引き揚げようとするところ。脚本では、

みち子「送っていってあげたら」
伝助「そうだな」
 八郎「おれもそこまで付き合うよ」
 伝助と八郎が一之助に付き添うように玄関を出ていく。

となる。しかし、全くその通りには進まない。スーさんはビール代を払おうと財布を開け、みち子が「いいのよ」と止める。すかさずハマちゃん「1000円ぐらいもらっといたら。これから(生活が)苦しくなるんだから」――といった調子。次々と即興のセリフが加わって場面が弾み、まさに2人の至芸を目の当たりにした。西田は「最初のころは、三国さんが『セリフ変えたいんですけどね』と言ってきたけど、次第に大胆になって」と笑っていた。

「ゲロッパ!」で毎日映コン男優主演賞を受賞した際には「いろんな役をいろんな色合いで演じられるのがコメディアン。ジャック・レモンのような芝居を目指したい」と話していたが、その変幻自在さにはレモンも驚いたのではないか。インタビューや記者会見ではサービス精神旺盛で、冗談を連発しいつも笑いの渦。日本俳優連合理事長として俳優・声優の待遇改善に取り組んだり、東日本大震災で被災した故郷、福島県の復興を支援したりと、社会問題にも目を向けていた。健康面での不安を抱えながらも、明るくにぎやかな俳優人生だった。

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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  • 西田敏行=2012年
  • 「池中玄太80キロ」で主演したころの西田敏行=1980年
  • 「植村直己物語」撮影のため、植村の故郷を訪ね、植村の親族と語る西田敏行(右)=兵庫県城崎郡日高町で1985年
  • 「植村直己物語」キャンペーンで並んだ倍賞千恵子と西田敏行=1986年
  • 「八代将軍吉宗」出演者発表会見で中井貴一と並んだ西田敏行=1994年4月
  • 「毎日映画コンクール」表彰式で、記念写真に納まる西田敏行(前列中央)、八千草薫(同右)ら受賞者=2004年2月
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