©︎ Spiritlevel Cinema Ltd.

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2023.5.17

したたかな計算と苦悩 東京ステーションギャラリー館長が見た「バンクシー 抗うものたちのアート革命」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

冨田章

冨田章

バンクシーの作品は分かりやすい。謎のアーティストと言われるが、それは本人が誰かはっきりしないからであって、作品は明快そのものだ。図柄は具象的というよりも具体的で、何が描かれているのか迷うことはないし、メッセージも明確だ。それはしばしば掲出する場所と深く関連しているから、より強いメッセージとして機能する。
 

バンクシーの作品は現代にふさわしい

美術界における権威の象徴とも言うべき美術館に自作をゲリラ的に展示したり、オークションで自作が落札された直後にその作品を細断したりといったパフォーマンスは、その行為全体をバンクシーの作品と言って差し支えないが、これもまたその意味やメッセージは至って明快で、一点の曇りもない。既存の権威への疑義申し立てとか、狂乱するアート・マーケットへの揶揄(やゆ)とか、極めてシンプルで、誤解を恐れずに言うならば小学生が描いた反戦ポスターと同じくらい分かりやすい。現代は、音楽でも映画でも本でも、すぐに理解できない作品はそっぽを向かれる時代である。曲は冒頭にサビを持ってくるのが定番だし、沈黙や間は嫌われ、映画やドラマは倍速で視聴される。そういう意味では見れば分かるバンクシーの作品は現代にふさわしいとも言える。大衆受けのいい作品なのである。

多義性(正確に言うなら解釈の多様性)を多く持つアート作品により強く惹(ひ)かれる筆者のような人間には、だからバンクシーの作品はひどくつまらなく感じられる。これだけ大きな影響力を持つようになったのに、なぜ作品としてより成熟していかないのだろう、ステンシルという制作方法も安直であり、創作者としての苦悩の跡が感じられないのはなぜなのだろう、と常々疑問に思っていたのだ。

貧困層の若者たちの反逆、反抗の手段

しかしながら「バンクシー 抗う者たちのアート革命」を見て、その疑問が氷解した。アーティストとしてのバンクシーの歩みを、関係者へのインタビューを軸に丁寧に追うこのドキュメンタリーは、単なる一作家の伝記映画ではない。1980年代から現代へと至るアート業界の変遷を背景に、ヒップホップ文化と深い関係を持つストリート・アートがどのように展開していったのか、また、バンクシーというアーティストがこの20世紀末から21世紀初頭にかけて起こった大きなアート革命とも言うべき動きの中で、どのような存在意義を持っているのかを検証することに主眼が置かれている。そこで強調されているのは、ストリート・アートが社会的弱者たる貧困の若者たちの反逆、反抗の手段であったという点であり、バンクシーの行動がまさにそこに根差しているということである。
 
そうであればこそ、バンクシーは分かりやすさを求める。作品の向かう先は知的エリートたちがワイン片手に芸術論議を繰り広げるサロンや美術館ではなく、酔っ払いがもたれかかる寂れた街の裏通りの壁や、疲れ切った労働者たちが通勤電車の窓から見る建物、紛争地の悪名高き障壁などであり、だからこそ通り過ぎる一瞬に理解できる分かりやすい内容でなければならないのだ。

バンクシーのしたたかな計算と苦悩

映画の中では、影響力が大きくなり、有名になればなるほど、バンクシーとその作品が既存の美術業界の中に取り込まれていく様子も描かれる。それはおそらくバンクシーが最も望まないことであり、彼(およびその協力者たち)がそのことにジレンマを感じ、必死で抗(あらが)おうとする姿も描かれている。出来上がったモノだけを見れば、単純で安直な、つまらない(と見える)作品であっても、それを展示する場所、時、環境、そして作品が設置されるまでの過程を含めて考えれば、そこにはバンクシーのしたたかな計算があり、またアーティストとしての苦悩の跡も見えてくる。

アートの意味や価値とは何なのか

バンクシーがアートの世界に大きな波紋を投げかけたことは確かであり、バンクシーに影響を受けたアーティストは世界中にいる。それが果たしてマルセル・デュシャンほどの大きなインパクトであったのかどうかは、もうあと何十年か先にならなければ分からないだろうが、デュシャンだって本当の意味でそのすごさが広く認識されるようになったのは、ずいぶん時間が経(た)ってからのことだったのである。
この映画は、少なくとも現時点でのバンクシーのインパクトの実態をよく伝えている。だからバンクシーに興味がある人にはもちろん薦めたいのだが、もっと広く現代アートや文化全般に関心のある人にも推薦しておきたい。それはこの映画が、アートの意味や価値とは何なのかを考えるいいきっかけとなるに違いないからだ。
 
「バンクシー 抗うものたちのアート革命」は19日よりヒューマントラスト渋谷他公開

ライター
冨田章

冨田章

とみた・あきら 新潟で産湯をつかい、別府で温泉に浸かって育つ。慶應大学、成城大学大学院卒。そごう美術館、サントリーミュージアム[天保山]を経て2011年より東京ステーションギャラリー館長。近現代美術に関する多くの展覧会を企画。2016年には「追悼特別展 高倉健」の構成を担当した。著書に「偽装された自画像」「印象派BOX」「ゴッホ作品集」など。